精通タイム 後編-4
翌週の月曜日。健太郎は、教室に登校してきた修平の腕を焦ったように掴んで廊下に連れ出した。
「ケンタ、おはよう。何だ? どうした?」
健太郎はトイレの前まで修平を連れてくると、赤い顔をしてその友人の顔を見た。
修平はにやりと笑って、健太郎の肩に手を置いた。「そうか。やったか、ケンタ」
健太郎はかすかにうなずいた。
「す、すごかった……」健太郎はやっとそれだけ言った。
「だろ? これでおまえも俺と同じ一人前だ」修平は笑った。そして健太郎の肩を叩いた。「俺が毎日やってる、っていう気持ちわかんだろ?」
その日の放課後、修平は教室を出る健太郎を捕まえて耳元で囁いた。「部活終わったら一緒にいいとこ行こうぜ」
「いいとこ?」
「ああ。勝負しようぜ」
「勝負?」
「楽しみにしてな」修平は笑って、剣道の道具袋を担ぎ直した。
部活帰り。修平に連れられて、健太郎はいつもと違う道を自転車で走っていた。先を行く修平が時々振り返って笑いかけた。健太郎は少し不安そうにぎこちない笑顔で返した。
すずかけ町の北西を南北に走る大きな川があった。その川沿いに『すずかけ河岸団地』が拡がり、その一角に修平の家があるらしかった。
修平と健太郎はその川の堤防沿いの道をしばらく進んだ。
不意に修平が自転車を止めた。健太郎も自転車を降りた。
彼らの横をジョギング中の初老の男性が通り過ぎた。
学校を出た時にはまだ西の低い空にあった太陽はもうすっかり姿を隠している。薄暮のすみれ色の空が、広い川面に写って穏やかに揺らめいていた。
自転車を止めた二人は、堤防から川岸に伝う小さな獣道を降りて行った。
「こ、こんなとこで、何するんだ? 修平」
「いいから、着いて来いよ」
修平はにやにやしながらそれだけ言うと、健太郎を従えて小さなプレハブ造りの小屋を目指した。
その小屋の外壁を伝う鉄筋も、屋根の縁も、すっかり錆びて茶色になっていた。小屋の脇には大小の廃材が積み上げられていた。
修平は健太郎をその廃材に囲まれたスペースに連れ込んだ。
「秘密の場所なんだ。ここ」
「秘密の場所?」
「ここはこの小屋の陰になってて上の道からも見えねえし、向こう岸からも見えねえ、絶好のオナニースポットなんだぜ」
「オ、オナニー?」
「おまえが昨夜風呂でやったことをそう言うんだ。知らねえのか? ケンタ」
健太郎は小さくうなずいた。
「おまえ、ほんとに何にも知らねえんだな」修平は遠慮なく呆れ顔をした。
「じゃ、じゃあ修平はなんでそんなこと、いろいろ知ってるんだよ」
「兄貴に教えてもらった」
「兄ちゃんって幾つなんだ?」
「エロ盛りの高校生だ」
「なんだよ『エロ盛り』って」
「そのエロい兄貴が教えてくれて、俺もオナニーやるようになったんだぜ」
「そ、そうなんだな……」
「ってか、おまえ、小学校でも習っただろ? 性教育で」
「性教育? ああ、あれは意味が全然解らなかったよ」
「意味?」
「うん。オトコとオンナのカラダの違いとかは解るけど、オトコのあれをオンナの中に入れて赤ん坊ができる、なんて言われても、何のことだかさっぱり解んなかった」
「ううむ……、ずいぶんいいかげんな教え方だったんだな」
「河岸小じゃ、もっと詳しく教えてくれたのか?」
「精液の中に精子が何億って泳いでて、セックスしてそれがオンナのカラダの中に入ると妊娠する。そのためにはおまえが昨夜やったような射精をしなきゃなんない」
「じゃ、じゃあ、あのどろどろしたのが精液?」
「そうだよ」
「あ、あれを女の人のカラダに入れるのか?」
「そうだよ」
「あ、あの中に、その、せーしが何億って泳いでるのか?」
「そうだよっ」修平はいいかげんいらいらしてきた。
「何億って、そ、そんなにたくさん……」
「人間の細胞の中で最も小さいんだと、精子って」
「精子って泳ぐんだ……。でもどうやって……」健太郎は頭を抱えた。
「俺もよく知らねえよ。そこんとこはな。でもよ、ピュピュッって出てくる、あんだけの精液の中に何億って精子がいるって、ちょっと信じらんねえよな」
健太郎は顔を赤くして言った。「セ、セックスって大変そうだ……」
「ま、俺たちがオトナになったら、解るんじゃね? セックスのしかたなんてよ」
「そ、そうだな……」
修平は健太郎の肩を叩いた。「よし、ケンタ、やろうぜ。暗くなる前によ」
「え?」健太郎は修平の顔を見た。その友人はにこにこ笑っていた。