アイドリング-1
「この写真、すっごく可愛い!水越友里、名前もオッケー!住所と生年月日もしっかりチェックしなきゃね」
ようやく取得できた運転免許証のあちこちを指差し点検しながら、浮かれた声を上げて小躍りする友里。
ちょっと天然なところのある普通の女子大生。
ちなみに縦列駐車が苦手だったりする。
「だって、必要性を感じないんだもん」
という言い訳は、酢豚に入っているパイナップルに文句を言うのとおなじニュアンスだ。
大学へは電車でかよっている。そこにはやはり、なかなか痴漢行為をやめられない迷惑な大人たちがいるわけで、友里はもっぱら彼らの標的にされることが日常になっていた。
せっかく自動車通学オーケーの大学に入れたのだから、友里もそろそろ自分の車が欲しいと思っていたところだ。
「免許は取れたから、あとは車だけだよね」
『食べたくなるほど可愛い車』というコンセプトを携帯して、いくつかのカーディーラーをまわることにした。
安い買い物ではないだけに、慎重に慎重をかさねた上で納得のいく結果を出さなくてはならない。
「あっ、これ可愛い。この車に決めた!」
なんてことはない、最初に立ち寄った店舗でもはや結果が出た。
「いらっしゃいませ」
友里が店内へ入ると、若い男性スタッフがさり気なく近づいてきた。
ブラックスーツの王子様──とは、友里のおめでたい脳が勝手につくりだした肩書きだ。
「お店の外に展示してある車、とても可愛いですね」
「気に入っていただけましたか?」
はい、あなたのことがお気に入りになりそうな予感がします──。
二人っきりの商談がはじまると、友里はすっかり夢の心地から離れられなくなっていた。
オプションのことだとか、車体の色のことだとか、素敵な彼と二人で決めていくプロセスがとにかく楽しい。
「試乗なさいますか?」
「どうしようかな……」
「この車種を希望されるお客様は、みなさん試乗されていきますよ」
「だったら乗ってみます」
人生の門出のような気分で車に乗り込む友里。しかし助手席にスタッフの姿はない。
「ひとりで運転するのはまだ不安なんですけど……」
グロスばっちりの唇でアピールしてみたところ、
「車載のナビゲーションシステムの画面を通して、こちらからいろいろと指示を出しますので、お客様はそれに従っていただくだけでけっこうです」
ビジネスライクな台詞が返ってくる。
そりゃあそうですよね。あなたは車を売るのがお仕事なんだもの──。