卑弥呼-1
卑弥呼は祭壇の前に居た。そう、居ただけだ。意識はない。なぜなら今までの占いで心身共に疲弊しきっていたからである。
傍らには男が一人。この男は卑弥呼の弟で邪馬台国の男王にあたる人物である。実際に政治を行うのはこの男王であり、卑弥呼は呪術面の権力しか持ってはいない。しかし、それでも卑弥呼は男王をはじめ、重臣たち、そして民たちからも慕われている。それは正確な占いによって幾度もこの国に降り掛かる災害を予見し、危機を救ったという事実。そしてなによりもこの国のことを憂いているというところにある。
その邪馬台国は現在危機的状況にある。原因は天災などではない。この国のから見て南に位置する狗奴国の侵攻である。狗奴国の兵は勇猛果敢。いまだに狩猟を生業としているため弓の射程も長く、一対一の戦いでも邪馬台国の兵は劣ってしまう。邪馬台国はかなり稲作が浸透しており、経済的(と言っても金銭ではなく食料であるが)には狗奴国を上回っている。しかし、現在それが災いしている。なぜなら、狗奴国から見れば北に侵攻すれば食料が得られ、しかも相手は弱兵揃い。食うや食わずで毎日必死で生きている狩猟民族と、ぬくぬくとめぐまれた環境におかれた農耕民族では勝敗は明らかである。
「…っつ」女王が意識を取り戻した。
「お加減は?」「大丈夫…。して、なんと言っていた?」
卑弥呼に占いの最中の記憶はない。一種のトランス状態のため、何か叫んでいたことはなんとなく覚えているが、詳しい記憶まではない。
「確か…『ギ』『ギ』に頼るべし…とか…」
男王の歯切れは悪い。『ギ』というものの得体が知れなかった上に、卑弥呼の占いはトランス状態からの占いのため聞き取り辛く、解釈も難しい。それでも男王が理解できるのは血縁関係であるからか王としての責任感からか、はたまたもう慣れてしまっただけなのか。
「ギ…?なんでしょう?それは?」
「見当もつきません。とにかく、国中探してそのような名前のものがいるかどうか探させます。」
「早急におねがいします。刈り入れが終わるとまた南から奴らが来ます。今年こそは防がないと…。」
「もちろんです。昨年のように侵入を許したら国の威信に関わります。」
最後まで卑弥呼に言わせず男王は慌ただしく退出した。
代わって奴が食事を持ってきた。奴は周辺各国から献上された奴隷のことであり、「断ることは相手国の面子に関わる」という男王の意見を取り入れた結果、あれよあれよという間に千人ちかい奴が住むようになった。それだけ邪馬台国が周辺各国から頼られており、つまり、それだけ邪馬台国は責任があるということである。
卑弥呼の膳には米・生野菜・キビモチ、そして猪の肉や貝・魚等が並ぶ。弥生時代は現代の我々が想像しているよりも豪華な食事ができる。一般人でも米や生野菜が食べられ、それが足りないところは木の実やキビで補っていた。
(このような食事ができるのも民のおかげ…)感謝の念を持ちつつ、この国を守らなければ、という意識を再び明確にしつつ、食事をきれいに完食した。
「『ギ』と呼ばれるものはおりませんでした。」
数日後、男王の報告を受けて卑弥呼は溜息をついた。
「そうですか・・・仕方がありません。重臣・各国の王を集めなさい。みなの意見も聞きましょう。」
「公孫氏はどうなさいますか?」と、男王。
「できれば公孫氏の意見も聞きたいのですが、時間がありません。今回は諦めましょう。」
公孫氏とは中国大陸の遼東半島にある勢力で卑弥呼はそこと外交関係にあった。そしてそこからより効率的な稲作の方法を取り入れていた。
「わかりました。ではすぐに使いを。」相変わらずで男王は急いで退出した。