―１５―-1
桜前線が順調に北上してくれれば、あと一週間もすればこの辺りのソメイヨシノも一斉に蕾がほころんで、長い冬の終わりを告げてくれるだろう。
幾度となく訪れた氷河期を乗り越え、ようやく就職できた新社会人たちのフレッシュなスーツ姿が、見慣れた町の風景に華を添えている。
春が終わって夏が過ぎると、みじかい秋の暮れに憂う間もなく厳しい冬がやって来る。
そうやって月日の流れのように自分も風化していけたなら、どんなに報われることか──。
歩道橋の上に佇み、足下を通り抜けていく車両に目をやりながら、花井香澄は思い詰めていた。
手提げ袋の中には、買ったばかりの真っ赤な林檎が入っている。
ふとして視界のはじに人影が映り、ゆっくりとこちらに歩いて来るのがわかった。
背広を着た背の高い紳士だった。
「まさか、そこから飛び降りるつもりじゃないですよね？」
真横から声をかけられた香澄は、
「そんなふうに見えました？」
きわめて和やかに微笑んだ。
相手の男も冗談ぽく口を曲げている。
「犯人、捕まえられそうですか？」
「ええ、あと少しで。あなたの協力もありましたからね」
「もしかして、沢田という刑事さんのことを言ってます？」
「彼の正体を暴くことができたのは、香澄さんのおかげだと思っています」
「大げさですよ」
と香澄はくすくす笑った。
「彼は刑事ではありませんでした」
それとなく言いながら北条も香澄とおなじく歩道橋下を眺める。
「それに、彼はもう亡くなっています」
北条が告げた直後に、香澄は数秒だけ息を止めた。言うべき台詞が見つからなかったからだ。
「自殺に見せかけた他殺、我々はそう見ています。あなたにも少なからず思うところはあるでしょう」
胸の内に踏み込まれ、数日前の沢田透の印象を香澄は思い返した。
「まさか、あの沢田という男の人が私の主人を？」
「その可能性は低いでしょう。我々が調べたところ、沢田透は犯罪組織のにんげんであることが判明しました。ですが、彼らは利益にならない仕事はしないはずなのです。つまり、何ら接点のない花井孝生に危害を加えたところで、そこに報酬は生まれない。警察に目をつけられるかもしれないというリスクが残るだけなのです」
口数の増えた北条のとなりで、香澄はふたたび思い詰めた顔をする。
「沢田透がなぜ命を落とさなければならなかったのか、そこには必ず理由があるはずなのです。あなたのご主人についても例外ではない」
「主人は、他人から恨みを買うような人ではありません」
「近親者は誰でもそうおっしゃいます」
「それなら、どんな理由があると言うんですか？」
気に障ったふうに香澄は刑事に言葉を投げつけた。
北条は香澄のほうへ正面を向けて、
「あなたのご主人も一人の男だったということです。もちろん、沢田透にも当てはまることですがね」
遠まわしに返答した。