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「うちのお店に、おいしくないお酒なんてあったかしら」
「確かに、ここの人は男か女かはっきりしていないけれど、お酒の味だけははっきりしてる」
洒落を利かせて笑顔になったあと、才子は革張りのスツールに腰掛けた。
すると両隣の席もすぐに埋まる。どちらもニューハーフだ。
「才子ちゃん、また来てくれたのね。嬉しいわ」
ブロンドのかつらを着けたナオミがグラスにシャンパンを注ぐ。
「あたしも、才子ちゃんと再会できて、興奮で髭が伸びちゃう」
自作のジョークに爆笑するのはローズだ。
そうやって笑いの絶えないまま乾杯が終わり、それぞれに言いたいことをしゃべっては、食べて、飲んで、談笑した。
こういうお金の遣い方もあるのだと提案してきたのは、銀行の窓口に訪れた上品な女性客だった。
近いうちにかなりの額のお金を相続するかもしれないということで、その運用方法についての相談を受けていたのだ。
そして何かの拍子で世間話になり、そこでホストクラブの話題が持ち上がった。
いきなり免疫のない高級店に行くのは危険なので、まずはニューハーフあたりを相手に場数を踏んで、雰囲気に馴染んでおいてからのほうがいいかもしれないと、その女性客は親切に助言してくれたのだった。
まわりから性的嫌がらせを受けていた時期と重なり、才子はそこに現実逃避への抜け道を見出していた。
遊ぶ金はすぐに準備できた。銀行の金を着服したのだ。
もうおしまいだという罪悪感が消えることはなかったが、とにかくノンフィクションの世界から逃げ出したかった。
フィクションの中でなら自由に泳げるような気がしていた。
「そんなに思い詰めた顔しちゃって、彼氏と喧嘩でもしたの?」
我に返った自分のすぐそばに、ナオミの厚化粧の顔があったので、才子は無理矢理笑ってみせた。
私情を悟られるわけにはいかないからだ。
「ううん、なんでもない」
「そういう男関係の愚痴なら、いくらでも聞いてあげる。なんてったってあたしたち、中身は乙女なんだもの」
ローズも才子を気遣う。
湿っぽく飲むためにここへ来たわけじゃないことを思い出し、才子は明るく振る舞った。
「ありがとう。それじゃあ今夜はとことん飲んじゃう」
みんなしてグラスを重ねると、嫌なことがぜんぶ吹き飛んでいくような気がした。
「いらっしゃ……」
途中まで言いかけて、店のママであるアゲハは表情を曇らせた。
新たな客が来店したにも関わらず、歓迎ムードがまるでない。
新顔は男二人。
どうやら酒を飲みに来たわけではなさそうだと、店内の誰もがそう思った。
男らはカウンターまで一直線に歩いて行くと、アゲハに向かって、
「こういう者だ」
堅苦しい手帳を振りかざした。