ほ乃花-1
部屋の中は、しんと静まり返っていた。
先ほどまでとは明らかに違う景色が自分の目に映っている。
昼間の明るさが窓から差し込んで、レースのカーテンの向こうに青空が見え隠れしている。
私は一人、病室のベッドから起き上がって、まずは両手を眺め、それから胸元と内股のあたりをぼんやりと確かめる。
パジャマもしっかり着ているし、どこにもおかしなところはない。
それどころか、気分はとても穏やかに晴れている。
ハーブガーデンを望みながらアールグレイを嗜んでいるような、贅沢な時間の中に私はいた。
あくびが込み上げてくることもないほどに、確かな目覚めだった。
さっきまでの出来事はぜんぶ夢だったのだろうか。
レム睡眠とノンレム睡眠を規則正しくくり返していただけだったのか。
ところで今日は何月何日の何曜日で、不妊治療はどのあたりまで進捗しているのだろう。
はっきりさせたい物事がいくつも浮かんで、そのどれもが曖昧だと思ったときだった。
二度、病室のドアがノックされた。
私は返事もできずに、視線だけをその方向へ向ける。
ドアが開き、白衣姿の男性が入ってきた。
「小村奈保子さん、おはようございます。気分はいかがですか?」
院長の泉水守人だった。
「目が覚めたら体調がとても良くて、それに、素敵な夢を見ていたような気がします」
「うん、うん、催眠アプリを選択したのが正しかったようだ。とてもいい顔をしている」
院長はベッドにいる私に寄り付くと、骨董品でも扱うような手つきで、私の顔の輪郭を撫でてきた。
そこでこう言う。
「あなたは二つの夢を見ていましたね?夢のような夢と、現実のような夢を」
「はい」
「どんな夢だったのか私にはわからない。ただ、その夢のおかげで小村さんの女性ホルモンに変化があらわれたのは確かです」
「それはもしかして、不妊治療のことですか?」
これに対して院長は、肯定でも否定でもない微妙な笑みを浮かべて、愛おしい者を見る眼差しで迫ってくる。
不思議だった。
ただの医師と患者の関係なのに、彼に髪を撫でられ、手を握られても、嫌な気はしなかった。
「まだ夢の残像が消えませんか?」
「いいえ、大丈夫です。なかなか気持ちの整理がつかないだけです。まだ目覚めたばかりで、血圧が足りていないのかも」
「急がなくてもいいですよ。私がじっくりと現実を見せてさしあげますから」