追憶タイム 後編-6
「ケンジさんに電話します?」
拓郎が言った。
「しません。この夜のことに、あの人は口出ししない約束です」
「そうなんですね」
「ケンジも、あたし以外の女性とセックスしたことが何度かありますけど、それも公認だし、その時もあたしはノータッチです」
拓郎は呆れて言った。「本当に変わった夫婦ですね」
「そうですか?」
「だって、完璧に浮気でしょ? 嫉妬に狂ったりしないんですか?」
「全然妬かないわけではなくて、その直後は少し攻撃的な夜になりますね」
「へえ!」
「あたしたちにとっては、第三者とのセックスはスパイスみたいなものかな」
「スパイス?」
「はい。ケンジが違うオンナとセックスした次の晩は、あたし、ケンジをけっこういたぶります」
「いたぶる?」
「はい。なかなかイかせてやらなかったり、逆に何度も、尽きるまでイかせたり、そして言うんです。やっぱりあたしの方がいいでしょ? って」ミカは笑った。
「じゃ、じゃあ、明日の晩は、ミカさんがケンジさんにいたぶられる、ってこと?」
「もう、わくわくしますね」
「え? 何で?」
「だって、ケンジ『俺の方が絶対に気持ちいいんだからな』って、すごんできて、いつもより激しく求めてくるんですよ。燃えるじゃないですか」
「返す返す変な夫婦……。普通のカップルだったら、十中八九別れ話に発展しますよ」
「普通の夫婦にとっては毒物。でもあたしたちにとってはスパイス」ミカはウィンクをした。
「何か飲みますか?」拓郎が冷蔵庫を開けながらミカに顔を向けた。
「ビール飲みましょ、先輩」
「即答しましたね。好きなんですか? ミカさん」
「三度の飯より」
「あの頃の貴女からは想像できない言葉だ」拓郎は呆れかえって笑った。そして冷蔵庫の中から缶ビールを二本取りだし、一本をミカに手渡した。
「ありがとうございます」
二人は下着姿のままベッドの端に並んで腰掛けた。
「拓郎先輩、今気になっている女の人がいるでしょう?」
「えっ?」飲みかけたビールの缶から思わず口を離して拓郎はミカを見た。
「やっぱり。図星ですね?」
「ど、どうしてそんなことがわかるんです? ミカさん」
ミカは天井を仰いだ。「……勘です勘」
「参りました。まだ誰にも打ち明けてないのに……。しかもそれに勘づいてて僕に抱かれたミカさんには、重ね重ね失礼なことを……」
「お気になさらずに。もう、二人ともいい大人なんだし」
拓郎はビールを一口飲んだ後、観念したように口を開いた。
「今の会社の部下に、独り身の僕をかいがいしく世話してくれる子がいるんです」
「お部屋にまでいらっしゃるの? その人」
「まだそこまでは……」
「貴男は彼女に惹かれているってことなんですね」
「穏やかに、少しずつ、って感じでした。でも、明日、彼女を見たら、もしかしたら告白するかもしれません」
「え? どうして、そんな急に」
「さっき言ったでしょ。もう吹っ切れた、って。亡くなった良美が、貴女の身体を通して僕に、もうこれで最後にして、貴男の『これから』を探して、って言ってくれたんです」
「拓郎先輩……」
拓郎は手に持ったビールの缶を両手でそっと包み込んでうつむいた。
「思えば、ずっとうじうじしていた。もうそばに居るはずのない良美の思い出に酔い、嘆き、その上未練がましく貴女に会いたがっていたのも、僕のネガティブな気持ちからきたものだって、今思います」
拓郎はミカに身体を向けてじっとその目を見つめた。「本当にありがとう、ミカさん。貴女のおかげで、僕はまた歩き出せそうです」
「拓郎先輩のこれからの人生が素敵なものでありますように」ミカはにっこり笑って、ビールの缶を持ち上げた。拓郎も自分の手の缶を持ち上げ、ミカのそれに軽く触れさせ、中に残っていたビールを飲み干した。