追憶タイム 前編-4
拓郎は、店の一階の入り口ドアが開く音が聞こえた時、さらに落ち着かないそぶりで、手に持ったカップを少し震わせながら口に運んだ。
螺旋階段を上がってきたミカは、奥のテーブルから手を振っているケンジにすぐ気づき、近づいた。そして、一瞬立ち止まり、意外な顔をしてケンジの横に立った。「あれ、一人じゃなかったんだね。どなた?」
「まあ座れよ、ここに」
ケンジはミカを自分の隣に座らせた。
ミカは拓郎に目をやった。
拓郎はうつむいていた。
「とっても懐かしい人だよ。君にとって」ケンジは微笑みながらコーヒーカップを手に取った。
拓郎は顔を上げた。
怪訝な表情で向かいに座っているその男性を見たミカは、すぐに目を見開いて思わず立ち上がった。「たっ! 拓郎先輩っ!」
「ひ、久しぶりだね、ミカさん。元気だった?」拓郎は思いきり赤くなって右手を少しだけ挙げた。
「どっ、どっ、どういうこと? ケンジ!」ミカはひどく狼狽していた。
「ミカに会いたかったんだってさ」
「えっ? えっ? あ、あたしに?」ミカは顔を真っ赤にしてうろたえた。
ケンジは眉間に皺を寄せてミカを見上げた。「いいから座れよ、落ち着いてさ」
ミカは相変わらず目を皿のようにしたまま、ゆっくりと再び椅子に腰を下ろした。
「ミカがこんなに慌てふためくの、俺、初めて見たよ」ケンジは笑った。
カフェオレ色のポロシャツに白い前掛けをつけたホールスタッフによってコーヒーが運ばれてきて、ミカの前に置かれた。
「そ、そりゃ慌てもするよ。もう二度と会えないって思ってた人と再会したわけだし……」
「しかも初めての人、だからな」
拓郎はますます真っ赤になった。「そ、そんなことまでご存じなんですか?」
「ご、ごめんなさい、先輩、軽々しくこの人に話しちゃって……」
拓郎はふっとため息をついた。「いや、ケンジさんは知っておくべきだな……」
椅子に座り直し、背筋を伸ばして少しうつむいたまま拓郎は穏やかに語り始めた。「今更、ミカさんを身勝手に捨てた僕が、こうして再会することを考えちゃいけなかったのかもしれません。でも、そんなことをしたからよけいに貴女にお会いして、お詫びしなきゃ、って思ったんです」
「先輩……」
「ずっと心にひっかかってた……」拓郎は顔を上げた。
「あたしも、」ミカがカップの載せられたソーサーの縁を指でなぞりながらうつむき加減で言った。「先輩にはもう一度お会いして、お礼を言いたかった。今になってこんなことを言い出すのもわざとらしいけど……」
「お礼?」
「あたしを真剣に想ってくれてたことに対する、お礼」
ミカは静かにカップを持ち上げた。
「あの、」ミカが一口コーヒーを飲んだ後、顔を拓郎に向けた。「先輩はどうしてこんなところにいるんですか? オーストラリアからいつ帰って来られたの?」
「ああ、」拓郎は目を伏せた。
ケンジはちらりと拓郎とミカを見比べた。
「シドニーでいっしょに暮らしていた妻が二年前に他界して、今はこの近くに住んでいるんです」
「えっ?!」ミカは口を押さえた。「な、亡くなった?」
拓郎は小さなため息をついて独り言のように呟いた。「貴女によく似た女性でした」
「え? あたしに?」
拓郎は涙ぐんでいた。「彼女を忘れたくても忘れられない。一人、あっちで暮らしていても、その思いは強くなるばかり。耐えきれなくなって帰国したんです」
「…………」
拓郎は顔を上げて右目を照れたように拭った。「でも、もう二年前のことです。早く思い出にしてしまわなきゃね」
ホールスタッフが、テーブルに近づいてきた。
「お冷やのお代わり、いかがですか?」
「あ、いただくよ。それから、」拓郎がメニューを手にして、そのスタッフの若い女性に目を向けた。「このケーキを三つ、持ってきてくれないかな」
「かしこまりました」
拓郎はミカとケンジに向き直った。「ミカさんに再会させてくださったお礼です。食べてください」
「そ、そんな気を遣わないでください、先輩」ミカが恐縮したように言った。
「こんなお店で、こんな風に、貴女とデートしたかったです」拓郎は恥ずかしそうに笑った。
「お互い部活で忙しかったですからね」ミカも微笑んだ。