届かぬ言葉-1
父の墓前に立つ私の髪をそよ風が弄ぶ。
顔を撫でるように髪の毛がざわめくたびに、耳に引っ掛けるように髪の毛を手で掻き上げなければならない。
左手には一輪の菊の花と名前も知らない小さな花を数本纏めた花束を持っているため、右手で髪を気にしていた。
墓石の段になっているところに花を置き、空いた左手を右の手のひらと合わせ合唱する。
どこの神様や仏様にも信仰はしていないが、儀礼的に手を合わせて参った。
思えば父に会うのは久しぶりだ。
以前は病室で、まだ息もあり話もできた頃に会っていた。
一応父親の見舞いくらいはしなくては、と他人事のような気持ちだったことを覚えている。
病室のドアを開け、目が合うと父は驚いたように少しだけ目を開いていた。そして何も話さないまましばらくたち、父が最初に言った言葉は『すまなかった』だった。
私は何も言わなかった。ただ、申し訳なさそうに俯く父を見つめていた。
『俺は…、俺はいい父親じゃなかったよな』
自嘲気味に無理矢理笑顔を作ろうとしながら父は続けた。
『会社を定年退職して、自由な時間ができて、呆れ果てるくらい時間が余って、それで俺は過去を引っ張り出してたんだ』
物語でも語るように、そして辛い過去をさらけ出すように、父は話はじめた。
笑顔を作ることは諦めたのか、苦しそうな顔だった。
『会社に入ったこと、聡子と結婚してお前が生まれたこと、昇進したこと。そして五年前聡子が死んで、俺はその先二年間も仕事ばかりを相変わらず追っていたこと』
馬鹿みたいにな、と最後に付け足して一区切りをつけた。
何が言いたいのか上手く汲み取ってやれなかった私は、黙って父の話を聞いていた。
母の葬儀の時、父は時々かかってくる仕事の電話に一々対応していた。それに対して、こんな時まで仕事をするのか、とわずかの憤りを感じた。感じた憤りには軽い失望と固形物のような軽蔑が混ざっていたように思う。だからか、式の最中に見えた父の涙が信じられなかった。
それを思い出してしまい、私は眉に力が入ってしまっていた。
父もそんな私を見て、悲しげな目になった。
そして父は最後にこう言ったのだ。
『つまり、聡子に謝れなかったことを後悔してる。だけどお前はまだ俺の目の前にいる。だから、今までの俺を許してくれなんて言わない。でも謝らせてくれ。最後の最後に後悔はしたくないんだよ、すまなかった』
最後、父は涙を目に溜めていた。それでも構わずに私に謝ったのだ。
仕事人間だった父が、母への強い後悔がそうさせたのか、母が生きていたとしてもそうしたのか。私にはわからない。
父のその言葉を聞いて、私は父の目の涙を拭ってやることもせず、ただ見つめることしかできなかった。
父の言葉を受け入れたり、否定することもしなかった。
父は私の返事を聞けないまま、死んでいった。
言いたいこと、父の言葉に対して言いたいことなら沢山あった。それすらも伝えようとはしなかった。
だから、私は父の墓参りに、その時言いそこねたことを言いに来ていた。
「お父さん、お母さんにはちゃんとそっちで会えた?」
返事は帰ってこない。
それでも私は目の前の石に話続けた。
「私は、お父さんを許さないよ。だって、遅すぎるじゃない。死ぬ間際になんて……」
声が喉に詰まりそうだ。
「遅すぎたのよ。謝られて、それからお父さんと親子らしい会話、できたなら……。私はお父さんを許せたかもしれないのに」
葬式のときでさえ泣かなかったのに、何故か今頃になって涙が出てきた。しかし、私は構わないと思った。