ニンゲンシッキャク-1
「鬱のスゝメ」
マエカワ ススム
前進先生、それはぼくの事である。ぼくが鬱病だとは、多分誰も知らないと思う。ぼくは日々、両親にも悟られぬ様隠して生きている。ぼくが未だに自殺などという手段に出ないのは、両親の為でもある。何を隠そう、ぼくはあの日から自分を殺して生きている。
「前進先生、大丈夫ですか」
ぐらりと揺れた体を陣内先生に支えられる。最近、貧血気味でもある。男がこの様な事を言っていたら、笑われるだろうか。
「大丈夫です、暫くすれば治ってしまいますから」
「そうですか、それなら御無理を為さらぬ様に」
「ええ、すみません」
保健教諭の陣内先生には、随分と心配をかけている。けれど、傷は何時も何時でも疼いている。鬱と云うのは、波の様な物で引いたと思えば思い出した様にやってくる。教職に就いてからの四年、生徒には未だばれてはいない。生まれてからの二十六年間、親には未だばれてはいない。
生徒や同僚は、ぼくを「前進先生」と呼ぶ。嫌ではないが、似合わないのであまり呼ばれたくない。
「前進先生は、何故先生になったのですか」
「ならば、何故君は生徒なんだい」
「それは、解りません」
「ならば、何故君は高校生なんだい」
「それも、解りません」
「前進先生、わたしの質問に答えて下さい」
「それは、君達の人生に関わりたいと思ったからだよ」
違う。違う違う違う。必ず訊かれる質問にも、嘘を吐くのにも慣れてしまった。何時からだろう、平気で嘘を吐ける様になったのは。時には嘘を吐く事も必要だと言われたが、自分にも平気で嘘を吐ける様になってしまった。末期症状の虚言癖教師、これがぼくだ。全てが、期待通りと云うわけには行かないのだ若者よ。若者よ、現実を見ろ限界を知れ。さすれば、悩む事も無くなるだろう。在るがままの己を、世界を知るべきだ。
多分、恐らく、ひょっとしたらぼくが教師になった理由は、教師になる事によって人間になろうとしていたからではないだろうか。今では、そう思えてならないのだ。今更理由なんて、荷物になるだけだろうが。
「君、君、沼川先生の授業は好きかい」
「好き」
「じゃあ、植松先生の授業は好きかい」
「嫌い」
「じゃあ、前進先生の授業は好きかい」
「普通」
ぼくは、がっかりしない。至極残念でもない。
陣内先生だけは、何故か本当のぼくを知っていると言う。本当のぼく。本当のぼく、とは誰の事なのだろうか。
「わたしは、騙されてあげませんから前進先生」
ぼくを笑顔で追い詰めていく陣内先生。
「ぼくだって、嘘は嫌いです。大嫌いです」
「世界が前進先生に騙されようと、前進先生が前進先生自身に騙されようと―わたしは騙されてあげません。わたしは、決して優しくありませんから」
「ぼくが、陣内先生を騙しているとでも」
「ええ、しかし未だ本当だとは思っていませんから、騙されてはいませんが」
「陣内先生」
「はい」
「有難う御座います」
一瞬、面食らったような陣内先生だったがすぐに持ち直した。
「いいえ、それほどでも」
「好きです」
「わたしは独身ですよ」
「其れは良かったです」
「それも嘘ですね」
陣内先生は、苦々しく笑った。