第7話-14
条件反射で、英里は即座に顔を背ける。
「あの、私、人と待ち合わせをしてるので……」
「穂積さんとだろ?俺が呼び出してくれって頼んだんだ。全然、連絡つかないから……」
「嘘、どうして、そんな……」
「それは、こっちの台詞だ」
彼の真剣な眼差しが、英里を射抜く。
「あんな返事で、納得いくわけないだろ。英里の口から、理由を話して欲しい」
「それは……」
英里は口ごもる。陽菜は、一体どこまで彼に話してしまったのだろう。
「ここで話しにくいなら、今から俺の家に行こう」
「えっ、だ、駄目です。陽菜が来ないんなら、私、これから用事が……」
彼の領域に引き込まれるとまずい。せっかくの決意が鈍ってしまうに違いない。
慌ててその場を離れようとした英里の腕を強く引き、圭輔は彼女の体を抱き寄せた。
「あっ……」
人通りの多い場所で抱き合う姿が目立たないはずはなく、徐々に周囲の視線が集まる。
「やだっ、恥ずかしい、離して下さい……っ!」
英里は頬を赤らめて、必死に体を引き剥がそうとするが、それ以上に強い膂力で抱き締められる。
「俺は、誰に見られようと平気だ。俺と一緒に来るって言わないと、離さない」
耳元で、そう囁かれて、体の芯が熱くなる。
こんな脅迫紛いの事をするなんて狡い。悔しさのあまり、軽く下唇を噛む。
それなのに、抗えない自分の体。
「っ、わかりました。だから、早く離して……」
英里は大人しく、彼の車の助手席に座る。
運転席の圭輔の雰囲気は何だか堅い。
当然車内は無言で、英里は身が縮こまる思いだった。
メインストリートから少し離れた、人気のない場所に車を止めると、圭輔は初めて英里の方に顔を向けた。
まだ、彼の顔を見るのが気まずく、英里はつと顔を背ける。
そんな彼女を圭輔は強引に振り向かせると、顔を寄せて荒々しく口付けた。
「っ…!」
驚きのあまり、英里は息を詰まらせる。
唇を割り開いて、口腔内を犯すように、彼の舌に掻き回される。
熱い。
その熱に、英里の頭は朦朧としてくる。
唇が離れた直後、
「俺はさ、英里みたいに聞き分けがいい方じゃないんだ。最初から、手放す気なんてなかった」
そう言いながら、助手席のシートの背凭れを倒す。
「あっ…」
がくんっ、と体勢が崩れて、英里もそのまま後ろに倒れこむ。
起き上がる隙も与えられず、圭輔は英里の上に覆い被さった。
「な、何するんですか、やめて下さい」
「納得いく答えが貰えるまで、断られても諦めないから。前も言っただろ?独占欲強いって」
射るような視線で見つめられて、英里の体が、血が騒ぐ。
普段は見せない、彼の激情な部分。
その迫力にたじろいでしまいそうになるが、心のどこかで何故か惹かれてしまう。
力強く抱き締められ、息苦しい。
自ら遠ざけたのに、組み伏せられた彼の重みが愛しくて。
自分自身のことなのに、わからない。頭の中がぐちゃぐちゃでおかしくなってしまいそうだ。
そんな英里の葛藤などおかまいなく、圭輔は彼女の瞳を強い眼差しで見つめる。
至近距離で、視線が交錯する。
少し怯えた表情の英里の瞳の中に、圭輔の顔が映る。
余裕の無い、自分の表情。直視したくなくて、思わず彼は瞳を逸らす。
「だ、だから、私は、両親の反対を押し切る勇気が無くって……っ!」
「英里が、俺を選んでくれるなら、周りから何言われたって全然気にならないよ。英里の気持ちを聞かせて欲しい」
「お願いです、わかって下さい。圭輔さんのためなんです……」
英里は辛そうに顔を歪める。
「……俺のために、これから見合いして、好きでもない相手と結婚するつもりなのか?」
「っ……!」
陽菜はここまで彼に話してしまったのか。もう誤魔化す事はできない。
力なく、英里は頷いた。
「俺のこと、そんなに信じられない……?」
圭輔は、ぐしゃっと髪を無造作に掻き上げながら、はぁ、と大きな溜息を吐く。
「両親に言われたんだってな。俺との関係を断たないと、学校にバラすって。一人で全部背負い込まないで、俺に打ち明けて欲しかった。俺は、たとえ教師を辞めさせられたとしても、英里と一緒にいたい」
そんな彼の台詞に、英里は驚きのあまり目を見開いた。
「えっ……そんなの、絶対駄目です!私、授業してる時の活き活きしてる圭輔さんが大好きなのに。あんなに、先生になりたかったって、話してくれたのに……私、なんかのせいで……いやだ……」
最後の方はもう完全に涙声で、頭が錯乱して何が言いたいのかよくわからなくなってしまった。
そんな彼女の必死な様子に、圭輔は胸を打たれる。
「いいんだ、英里が俺を守ってくれようとしたみたいに、俺も英里が一番大切だから。仕事なんて、選り好みしなければ金を稼ぐ手段はなんだってある」
その途端、英里の瞳から、堰を切ったようにぼろぼろと大粒の涙が零れ落ちた。
結局、相手の事を思っているつもりで、自分が一番大事だった。
自分なんかより、彼の方がよっぽど覚悟を決めていたようだ。
ただ、逃げているだけだった。遠ざけるだけでは何の解決にもならないのに。
独り善がりの押し付けで、彼を苦しめている。
前に、決めたはずだったのに。たとえ傷ついたって、彼を信じようと。
やっぱり、彼のことが愛しくてたまらない。
「ごめんなさい…っ」
涙でぐしゃぐしゃになった顔を見られたくないため、俯き加減で英里はそう叫んだ。
「私、大事な事忘れてました。圭輔さんの事、愛してるっていう気持ちが、一番なんだって……」
啜り泣くような声が、二人きりの静かな車内に響く。
そんな彼女に触れて良いものか、躊躇いがちに、圭輔は手を伸ばした。
ぐっと、無造作に手の甲で彼女の頬を伝う涙を拭う。