前章-24
夕闇が迫る頃、邸宅の様相は一変する。内外は一斉に、電灯の明かりが灯るのだ。
伝一郎は毎回、この光景と出会す度に、心が憤ってしまう。庶民は未だ、ランプと行灯が主流としている中、この贅沢の極みに怒りを禁じ得無い。
電気の恩恵に預かれる訳は、炭坑に有った。
作業の際、竪坑を往来する為の巻き上げ機や、横に走る切り出し場を往来するトロッコ、それに選炭後に不要な硬(ボタ)を硬山へと運ぶコンベアの動力源として、従来は蒸気を用いていたのだが、故障が頻発し、その度に作業が中断されて埒が開か無い。
そこで、外国では当たり前の電気を動力源にと考えたが、大規模な電力供給は未だ、この街に届く予定は無い。伝衛門は苦肉の策として、蒸気を用いた発電所を自前で産炭場に隣設させた。
更に、発電所から丘の上の屋敷迄電線を引き、邸宅の電灯や井戸水の汲み上げ機に用いていた。
夜の帳が降りて行く頃、伝一郎は窓を開け、広い縁台へと出た。外気は昼間の熱気を留めるばかりか、湿気を増している。
西空は、夕日の残滓が硬山を黒く浮かび上がらせる。星を鏤(ちりばめ)た様に、山の至る所が朱色に輝き、山際をゆらゆらと陽炎が立ち昇る──山が燃えているのだ。
硬には石炭が混じっている。それが太陽の熱と空気に触れる事によって燃えるのだ。
この一種、幽玄的な光景を、伝一郎は好きだった。燃える様が生命力を感じさせるのだ。
「坊っちゃま」
扉を叩く音と共に、夕子の声が聞こえた。
「お食事の支度が整っておりますが、如何なさいますか?」
伝一郎は縁台から振り返り、傍に来るよう呼んだ。
「どうなさったのです?」
「あれを見ていたんだ」
指差す先は、硬山で有る。
「ああ、硬山が燃えているんですね」
「あれを見ると、不思議と力が涌くんだ」
「私なんか硬山を見て育ちましたから、特別な想いを持つ坊っちゃまが羨ましいです」
見る者によって各々の想いが有る。夕子の様に一風景として捉えていれば、何の感情も抱か無いのも道理だ。
「あ、そうだ!」
夕子は、何かを思い出した様に言った。
「あの硬山、稀に青白く光る時が有るんです」
「へえ、どんな時にだい?」
「青白く光った翌朝は、決まって雨なんですよ」
「成程……」
伝一郎は夕子の答えに感心する。硬山の見せる表情が、住人の生活にも影響を与えてとは思ってめ無かった事だ。
「それより、食事の支度が整ってます。下に参りましょう」
夕子は話題を戻した。上の“姉さん逹”から、急かされたのだろう。
「父さまは?もう戻ったのかい」
「いえ。先程、使いの者が見えて、火急な会合が商工会で必要に為ったとか。
御屋敷には、何時、御戻りに為られるか判りません」
「義母さまは?」
「奥様は御加減が悪いと……御食事は、御部屋で召し上がられるそうです」
「と言う事は、また今年も一人か……」
だが、これ迄程の落胆な表情を見せて無い。夕子と言う“話し相手”が出来たからだ。
──この際、夕子を出しにして、これ迄関係が希薄だった他の女給共と打ち解ける機会とするか。
「じゃあ、下で食事をしますか!」
伝一郎は、快活な調子で声を挙げると、夕子を伴って部屋を出た。嫡子と為って五年、初めて見せた気易さで有った。