前章-23
「今は住み込みで?」
「はい!亮子さんと重美さん、二人の姉さん達と三人で、下の部屋に」
「その丁寧な言葉遣いは、此方で覚えたのかな?」
「此方もですが、女学校時代にずっと教え込まれました。担任の先生がとても厳しい方で……」
伝一郎が興味深く幾つもの質問をぶつけると、夕子は立板に水の如く受け答える。何より機知に富み、猫の目の様に変化する表情は危な気で有り、無邪気だ。
「それから……」
つい、意地悪な質問をぶつけて見たく為ると言う物で有る。
「君は、女学校を出て奉公をしてる訳だが、その事に対して引け目を感じたりし無いのかな?」
「引け目?」
夕子は眉を顰る。初めて怪訝な表情に為った。
「年若い君なら、百貨店の店員や喫茶店の女給等、憧れる職業が幾つか有るだろう。
なのに、こんは屋敷で奉公をする自分の境遇を、怨んだ事は無いのかい?」
伝一郎は噛んで含む様に説いてやり、殊更に“自分の境遇”の部分を強調した。すると、夕子は無言のまま首を横に振った後、こう切り出した。
「僭越ながら……」
「何だい?」
「──境遇は仕方の無い事だと 私は思います」
「仕方の無い事だって……?」
伝一郎の中に一瞬、怒りが涌いた──どんな生き様を送れば、そんな境地に成れるのだろうか。家の為に売られて行く子供逹は、仕方無いと言うのか。
「私と一緒に卒業した級友の殆どは、私と同様に働いてます。 進学を望んでいた子は沢山居ましたが、実際に高等女学校へ進めたのは僅か三人です」
「たったの三人……」
「ええ。中には、卒業後に父親に先立たれ、今は炭坑で選炭の仕事をしてる子も居ます。炭坑が一番お金に為りますから。
でも、彼女はちっとも悲観的じゃ無いんです。「これからは自分が母を支えて行く」って張り切ってました。
そして、仕事を与えてくれた親方様に感謝しています。私も同じです。五体満足に働ける事を親に感謝してます」
菊代や晶子とも違う思考──伝一郎は、この夕子の事を更に知りたく為った。
「君は、高等女学校に行けるだけの力が有ったのか?」
「自分で言うのも面映ゆいですが、精華女学校に入れたと思ってます」
精華女学校と言えば、県下でも相当の実力校だ。
「だったらどうして……」
「本当に行きたかったら、親方様にお願いしてお金を借りてたと思います。でも、私、早く家族の支えに成りたくて……。
下に弟が二人居て、一人が今年から、もう一人は来年、中学校に進学です。これも、親方様が私を奉公させてくれたから出来る事なんです」
「じゃあ、自分が成りたかった夢は?」
「小さい頃は、演舞場に出たいと思ってました。でも、現実は違いますから」
夕子はそう言って、朗らかに笑った。
伝一郎の中に、驚きと共に忸怩(じくじ)たる思いがこみ上げて来る。未だあどけ無さの残る女の子に、凄まじい程の強さを感じたのだ。
──自分は、境遇を怨みながらも川の浮き草の様に流され続け、何もせずに来た。なのに夕子は境遇を受け止め、明るさ失わずに生き抜いている。
僅かな出逢いの間に、伝一郎の中で夕子は、存在を大きくしていた。唯、その感覚は“新しい玩具”を与えられた子供に近い物だった。