前章-21
「さあ、どうぞ」
中に入ると、此処だけで炭坑長屋が一軒すっぽり収まりそうな程広い、大理石の玄関ホールが有り、ホールのど真ん中にニ軒近い幅の階段が、二階から真っ直ぐに降りているのが特徴的だ。
ホールの窓際には、数脚のビクトリア調テーブルセットが備えて有り、待合室としての役割を果たしている。他に、未だ珍しい観葉植物が綺麗に配列されて、調和を生み出していた。
「ほえ〜」
伝一郎は、此処を訪れる度に天井を仰ぎ見る。ホールから二階まで突き抜けた高さは息を飲む程に圧巻で、彼の知る“住まい”とは、掛け離れてた印象を与えていた。
それと、もう一つ。
「坊っちゃま!お帰りなさいませ」
通いや住み込みで奉公する女給達の出迎えも苦手で有った。
全て小作の娘達で、昔は下女と呼んでいたが、時代の移り変わりと共に呼び名も改り、それに伴って着物だった格好も、動き易い袴姿に変わった。
彼女達は、単に屋敷で雇い主の世話をするだけでは無い。将来、嫁入りして困らぬ様に女性として必修な習い事、御茶、生花、裁縫、行儀作法等を上女給から叩き込まれる。即ち、奉公と共に何処に出しても恥ずかしく無い様、仕込まれるのだ。
「今年も、お世話に為ります」
伝一郎は頭を一つ下げた。女給とは言え、年頃の女性が五名と、菊代と変わらぬ歳の上女給が一名。総勢六名から出迎えられるのは有る意味、凄い圧迫感を感じる物だ。
「夕子」
香山は、女給の中から、一番年若い夕子を呼んで荷物を手渡すと言った。
「先日、教えた通り、お前が伝一郎様をお世話しなさい」
香山の心積もりは、毎年、憂鬱そうに居る伝一郎に気兼ね無く過ごして貰う事で有り、その点、夕子は今春から奉公を始めた新入りで歳も近い。きっと、気遣いも少ないだろうと算段しての措置だった。
「か、畏まりました!」
夕子は、緊張した面持ちで返事をした後、小走りで伝一郎の下に近付くと、
「田沢勘助の娘で、夕子と申します。精一杯お世話させて頂きますので、宜しくお願い致します!」
初々しさ溢れる笑顔で、挨拶をした。
田沢と言っても、伝衛門や伝一郎と血縁関係は無い。時代が明治を迎え、平民にも名字が必要と為った際、小作等は挙(こぞ)って自分達の名主である“田沢”の姓で届け出た為だ。
「こちらこそ、お世話になります」
伝一郎が挨拶を返す様に香山は瞠目(どうもく)した。
何時もは沈んだ表情だったのが、薄く笑ったので有る。
「では、お部屋に案内致します!」
階段を登って行く二人を目で追いながら、香山の心中は躍り出したい気分だった。
(これは是非、親方様にお知らせしなくては……)
心を砕いた親子の会話が無い事を、執事為りに憂慮しての策だったが、どうやら首尾良く事が運びそうな兆しに、独り舞い上がっていた。