前章-19
「自動車でございます」
「じ、自動車!?これが」
噂には聞いていた。外国で発明された“馬が牽かず自走する馬車”が、日本に輸入されてると言う事を。
伝一郎は俄然、興味が涌いて来た。
「これ、ど、どんな仕掛けで走ってるの?」
「この箱の中に、馬の代わりをする“エンジン”と言う機械が詰まっております」
香山が箱の横蓋を外すと、鐡(くろがね)の塊に大小様々な管が走っており、何とも複雑怪奇な代物に見える。
「こんな小さな物が馬の代わりを……」
「ええ。馬の約ニ十頭分に相当します」
「これが……俄には信じ難いですね」
中を覗くと、従来と違う運転席には、船の操舵の様な物や計器類が幾つか見える。伝一郎は半信半疑のまま、暫く自動車を眺めていた。
すると、香山は両手に革の手袋を着け出したではないか。
「何かやるの?」
今や好奇心の塊となった伝一郎。香山に訊ねると、返って来たのは「馬を起こす儀式」と言う言葉。
香山は自動車の前に回り込みに行く。伝一郎も続いた。
先端部の下に、ちょうど片手で握る位の取っ手と小さな引き摘まみが有った。香山は片膝を付いた体勢と為り、左手で摘まみを引くと、右手で取っ手を力一杯に回した。
取っ手が重いのか、香山の額に汗が滲み出す。伝一郎は、遠巻きに見詰める人々と同様に刮目していた。
すると突然、耳を劈(つんざ)く程の、囂々(ごうごう)たる爆発音が轟いた。
「うああ!」
伝一郎は思わず、その場から逃げる。遠巻きにしていた者達も、甲高い悲鳴と共に後退った。
「坊っちゃま!これが正常な音なんです」
笑ってる香山の傍に恐々と戻ったが、余りの衝撃に、動悸の上に膝が未だ笑っている。
「何でこんなに煩いの!?」
けたたましい音の中、伝一郎は訊いた。
「エンジンの中で、油を爆発させてるんです。その爆発の力を走る力に換える訳です」
「成程……」
詰まり、飛行機や船の様な動力を馬車にも用いたので有る。
「では参りましょう。後ろの席にお座り下さい」
出発を促す香山に、伝一郎は首を横に振った。
「隣で、操作してる所を見てちゃ駄目かな?」
「それは……」
香山は困惑を顕にした。
「初めてだから、馬車との違いを確かめたくてさ。ねえ、頼むよ香山さん」
懇願されて香山は驚いた。情望を繰り返す姿は、今迄見た事も無い熱意を感じさせた。
「しょうが無い、今回限りですよ」
「有り難う!」
伝一郎は、自ら香山の隣に置かれた荷物を後部座席へと移し、席に着いた。目の輝きが子供の様で有る。
「では走り出しますから、しっかりと掴まってて下さい」
香山はそう言うと、左右の足を顕著に動かし、右手で操舵の下辺りを弄ぐり出した。