前章-13
「ふぅ……やっと寝てくれたよ」
夜。一家は団欒を終え、就寝の時刻を迎えていた。
千代子は昼間、百貨店に行った興奮が冷めないのか、ずっと伝一郎に喋り詰めだったが、拍子木の音が鳴り出した九時過ぎ辺りから眠気には勝てず、何時もより少し遅れて眠りに就いた。
「お茶でも入れましょうか?」
「いや。お茶は目が冴えてしまうからいい」
子供の前とは、明らかに異なる口ぶり。二人はこの一時だけ、十七歳の息子と三十三歳の母に関係を戻す。
「──明日、帰るから」
それは、唐突な一言だった。
「そう。お父様の所に戻るのですね」
有る程度、予想は付いていたのだろう。菊代に動じた様子は無い。
「向こうに帰ったって、楽しくも無いんだけどね」
「そんな風に言う物じゃ有りません」
菊代が即座に咎める。伝一郎に対して幾つか有る不安の内の一つが、本家に対する軽んじた発言だった。
「……だって、家に帰っても父さまは殆ど居ないし、貴子も俺を避けて部屋に引き隠って出て来やし無い。
食事も、女給の見てる中で一人で摂るのがしょっちゅう。これじゃ好い加減、息が詰まっちゃうよ」
「何です。自分のお母様を呼び捨てにして」
愚痴を溢す伝一郎を、菊代は再び叱り付けた。
「だって……」
「だってじゃ有りません。貴方はもう、本家の人間なのです。本来なら、此処に来ては行け無いのですよ」
菊代から毎年聞かされる“長い説教”が始まったと伝一郎は感じ、辟易だと言う顔へと変化した。
「だったら……何で最初に断ら無かったの?」
思わぬ反撃の言葉は、菊代の口を噤ませた。
「何故?あの時、追い返せば良かったのに」
「それは……あのまま返しては、貴方が余りに可哀想だと思って」
「じゃあ、千代子や幸一は?何で堕胎もせず産んだの。それより何故、俺を拒まなかったの」
問い掛けは執拗に続いたが、菊代は、黙したまま胸の内を明かさ無い。詳(つまび)らかにしても、得をする事など居ないからだ。
それは四年前。明日より中学校の夏季休暇と言う夜、突如、菊代の下を伝一郎が訪ねて来たのだ。
卒業式の別離から一年余り、便り一つも無かった。菊代は気丈に振舞い、「便りの無いのは本家の人間と為った証」だと、自分に言い聞かせた。
それがいきなり、目の前に現れたのだ。菊代は問い質す術も忘れて家中へと招き入れた。
「母さま!」
茶の間に通す為り、菊代は自由を奪われる。伝一郎の身体が伸し掛かって来た。
「や、止めなさい!」
「ああ……この匂い。ずっとこの匂いに灼がれてた……」
「駄目よ、伝一郎。あ、貴方はもう、此処に来ては行けない人なの」
「そう言われてずっと我慢したけど……駄目なんだ。やっぱり母さまと居たいよ!」
伝一郎は、菊代の胸の中で咽び泣く。