10-1
月明かりを浴びて青白く染まるファミリアホールの屋根には、英才と貞淑を意味する巨大な紋章が掲げられていて、誇らしげにこちらを見下ろしている。
昼間のマスコミ連中はどこかで待機しているのか、今は誰一人として姿が見えない。
立ち止まって、メールの内容をもう一度確認してみる。
『あたしに会いたいのなら、今夜二十二時、キャンパスのファミリアホールに来て。花織一人で』
霧嶋優子を装った誰かがメールを送ってきたことは明らかだった。
花織が深呼吸をすると、着衣の中で胸が浮き上がり、ふかふかと揺れた。
夜風が冷たく吹き抜けて、掲示板のポスターをはためかせている。虫も鳴いていた。
その扉は花織の手をずしりと重く押し返して、開かれるのを拒んでいるようだった。
暖められた空気が建物内から漏れ出して、薄暗い視界の先に舞台が広がって見えてきた。
そこを取り囲むように座席が湾曲して並んでいる。
昼間のそれとは違った異様な空間が、花織に警告を発していた。
腕組みをして脇の下に手を差し入れると、舞台に向かう通路の段差に一歩を踏み出した。
ブーツの音が反射して追いかけてくる。
さらに歩みを進めて、中央を目指して段差を下りていく。
ゆっくり、慎重に、たっぷり時間をかけて、目的を果たすまであわてない。
淫らな思いは置いてきたつもりだった。
けれども媚薬の成分が花織の神経を侵食して、ホルモンバランスの配列を乱しているのだ。
あたしは何も悪くない。薬がいけないんだ。
どうやったらこの痺れが治まってくれるのかがわからないだけ。
おねがい、もうやめて──。
気がつくと花織は舞台の中央にいた。
今すぐにでも行為をはじめたい疼きをこらえて、これからのことを念頭に立ち尽くす。
今日の乙女座の運勢はどうだったのだろうかと、ふと考える。
そして優子の色気話に懐かしさを思いながら、バックヤードのほうへと歩き出す。
暗い通路の向こうに幽霊の存在を信用してしまう、そんな気分になる自分が可愛く思えた。
そのとき、花織の目に何かが映った。