I-8
「──友人は衰弱しきってました。でもね、医者に診せたくても、食わせてやりたくても、暖めてやりたくても……金も無くてね。
私達は何もしてやれずに、友人は三日後に逝ってしまったんです……」
戦争と言う狂気の中、国の為に死ぬ事は尊いとされた時代。
そんな在り方に疑問を持つ者を探し出す為、人々は互いを監視、密告し、そして排除する事を善しとした。
国中が外界との関係を断ち切り、歪んだ知識によって洗脳される事で、行いを正当化したのだ。
「──さっきの麺汁は、そいつがよく作ってくれたんです。
あれから随分経つのに、未だに忘れられない」
雛子には慰める言葉も無く、唯、瞳を潤ませるだけだった。
「すいません……こんな話、するつもりじゃ無かったのに」
林田が不徳を詫びた。すると雛子は、彼の傍へと近寄り、その顔を胸に抱き締めた。
何故だか、そうせずにいられ無かった。
突然の事に林田は声も無い。彼の頬にぽたぽたと、滴が垂れて来た。
「久しぶりです……こんな風に抱かれるのは」
「……」
「卑怯ですよ、雛子先生は」
「どういう……意味?」
二人が離れた。林田は少しにやけて。雛子は俯き、頬を染めている。
「だって、下心があって訪ねてるのに、こんな事されちゃ何も出来やしない」
「なっ!」
たった今まで、哀れみの涙を流した瞳は、一変、怒りに震えた。
「心配して損しました!身の上話を、気の毒だと思った自分が馬鹿みたい!」
怒り心頭に発すとは、正にこの事だろう。雛子は林田に対して、思い付く限りの罵詈雑言を浴びせつくす。対して林田は子守唄でも聞く様に、穏やかな顔で受け流した。
「ちょっと喋り過ぎたようです」
一頻り雛子の鬱憤を聞いた林田は、立ち上がると帰り支度を始めた。
「今夜は、もう帰ります」
雛子は未だ、怒りが治まらないのか見向きもしない。
「もう、来なくて結構です」
「そう言わずに。あっ!後で風呂に入って下さいよ」
林田は、そう言い残して玄関を出て行った。
一人になった雛子。ちゃぶ台には、二人分の食器が残されたままだ。
「全く、もう!」
突如、雛子は立ち上がった。土間のサンダルを突っ掛けて、家を飛び出した。