I-14
「ところで、明朝、此方に伺っても宜しいでしょうか?」
「えっ?明朝に」
怪訝に思う雛子。だが、答えは意外な事だった。
「さっき、風呂場で着ている物を全部洗ったんです」
「ああ!それで、遅かったんですね」
吉岡が言うには、高坂の家では洗濯物も多く、とても自分の分まで干す場所が無い。だから翌朝、此方に干させて欲しいと。
勿論、雛子は快く了承した。
「それでは、お休みなさい!」
吉岡の帰って行く姿を、雛子は庭先まで見送った。手にした提灯が徐々に遠のいて行く。
(昨日から、色々な事があったなあ……)
梅雨の間、ずっと鬱積していた物が、梅雨明けと共に一気に晴れた様な気分だ。
(綺麗……)
仰ぎ見た夜空は、昨日と違って澄んでいた。それは、これからの事を暗示していると、雛子には思えた。
雛子の見る同じ夜空の下、厳しい顔をしている者があった。
雛子の父親、三朗である。夜も更けたと言うのに、一人書斎に隠り、何やら調べ物をしている。
「珍しいわね。お父さんが調べ物なんて」
そんな三朗の様子を、女房の鶴子が覗きに現れた。
三朗は不機嫌そうな顔で、一つ咳をした。
「暫く掛かるから、先に寝てろ」
「何を調べてるんです?」
鶴子が、机の資料を覗き込もうとするのを、三朗は慌てて制した。
「いいから、お前は向こうへ行ってろ!気が散ってしようがない」
「分かりました。先に休ませてもらいます」
諦めた鶴子が階下へと降りて行き、漸く部屋は静けさを取り戻した。
三朗は再び、資料に目を通す。彼が“さる筋”へ依頼していた資料だ。
(やはり、そうであったか……)
三朗の顔に苦悩の皺が浮かび上がる。それは、娘の雛子でさえ見た事の無い顔だった。
(直ちに、知らせてやらねば……)
三朗は、引き出しから便箋と万年筆を取り出すと、何やら認め出した。
娘の事を想う気持ちが、ペンを走らせる。彼の心には、暗雲が垂れ込めていた。
「a village」I 完