I-13
「あの……すいません」
準備を整えて三十分後、吉岡がようやく現れた。
その様相は予想通りで、モンペの裾は脛辺り迄しかなく、着物の袖も随分と短かった。
まるで、稚児の様な異彩さを見て、雛子は、吹き出しそうになる自分を必死に抑えた。
「此方へどうぞ!直ぐに味噌汁を温め直しますから」
味噌汁鍋を引こうとすると、吉岡は必死に止めた。
「い、いやもう!このままで結構です」
「でも、冷めたから……」
「普段が味噌汁ぶっかけ飯ですから、こんなにして頂いて、これ以上は!」
大学の助手と言っても薄給である。まして独身の吉岡は、普段から録な物を口にしていなかった。
だが、それよりも、敬愛する先輩の妹である雛子のもてなしに、肝を抜かしているのだ。
「どうぞ、召し上がって下さい」
「い、頂きます!」
吉岡の食欲は凄まじかった。余程腹が減っていたのか、盛り付けられた料理を次々と平らげてしまった。
「はあー……」
綺麗に空となった器に雛子は感嘆した。二人前は有った量を、僅か十分程で食べ切ったのである。
「さすがに、男の人の食欲は凄いですね!久しぶりに見ました」
雛子の言葉に、放心した様な吉岡の顔が赤らんだ。
「お恥ずかしい……こんな美味い料理、久々だったので」
「そう仰有って頂くと、作った甲斐が有ります」
屈託無く笑う雛子の仕種に、自然と吉岡の表情も緩んだ。
「やっぱり御兄妹ですね」
「えっ?」
「その笑顔の感じが、光太郎さんにそっくりです」
「そんな風に言われたの、初めてです」
「しょっちゅう会ってる僕が言うんですから、間違い有りません!」
聞けば、光太郎は機会が有る度に吉岡を自宅に招き、食事をご馳走してくれるのだそうだ。
「卒業されて何年も経つのに、食えない僕を今でも気に掛けてくれて……」
「そうだったんですか」
「だから、今回、お話を頂いた時に思ったんです。今まで、ご好意に甘えてばかりだった僕が、初めてお役に立てるんじゃないかって」
人の縁とは不思議な物である──光太郎の好意が雛子を手助けし、やがては……。
そこには打算的な考えの入り込む余地は無く、純粋な“善意”の世界で成り立つ。
「それで、今日の選定作業の結果ですが……」
吉岡と言う男の心根に触れ、雛子は自分の愚かさを恥じた。
他の者の対応が、自分の思いと違うのは当たり前の事なのに、それに不満を唱えるのは稚拙だと漸く気付いた。
「今日は、すっかりご馳走になって」
夜も随分と更けて、吉岡が帰る頃となった。
「とんでも無い!私の方こそ、お世話になっているのに、こんな事しか出来なくて」
挨拶を交わす中で、吉岡は変な事を口にした。