『嘘つきは凌辱のはじまり』-1
「あん、お兄ちゃん、そこは、だめだったら……」
と、ここでダメ出しをもらう。
「もっと、こう、なんて言うのかなあ。感情を込めて欲しいんだよねっ」
「はい。もう一回、お願いします」
台本を手に、私は意気込んだ。
と言っても、ほとんどアドリブだけで進行していく内容なのだ。
さておき、目の前のマイクに向かって、私はありったけの気持ちを吹きかける。
「あっあん……お兄ちゃあん……そこは……あう……だめだよ……うん……」
台詞を終えて、ため息を一つ。
そして相手の顔色を窺う。
「うん、さっきよりは良くなったけど、もっともっと良くなる素質はあると思うんだけどねっ」
まあいいや、と彼は苦笑した。
アライグマみたいに垂れ目で愛嬌はあるけれど、中身は中年のエロおやじである。
こうやってアルバイトができるのも、彼が採用してくれたおかげなわけで、悪口は、ぐっと、ぐぐうっと、胸に仕舞っておくことにする。
「次のシーンにいってみようか。ヴァージンの妹が、兄との初体験に萌えていく、いちばん要のシーンだからねっ」
言うのと同時に、ヘッドホンをつけたアライグマが、ぱちんと指をスナップさせる。
目の前の液晶画面に、美少女キャラクターのアニメーションが映し出された。
可もなく不可もなく、といった描写に、私は半笑いする。
こんなの、あたしにだって描けそう──。
思いながらも、本音は顔には出さない。
なるべく悩ましげに、しかし初々しさを忘れず、口の中いっぱいに甘い感情を溜め込んで、一気に吐き出すように──。
「お兄ちゃん……」
*
*
休憩室にて水分補給をしながら、くたくたの体を労う私。
思ったよりも大変だなと感じたのは、このアルバイトを始めて三週目ぐらいのことだった。
会社勤めのあとのアルバイトなので、眠気もある。
台詞をしゃべれば注文の嵐。
この手の声色は、意識して出そうとしても、なかなかつくれないものだと思い知った。
声優の仕事──そんな夢を抱いていたのはいつだったか、今では普通に安定した会社員に落ち着いている。
私の会社は副業を認めていない。
よその企業だって、そのスタンスはおなじだと思う。
魔が差した──というかなんというか、ちょっぴり自由になるお金が欲しくて、ちょっぴりエッチなアルバイトをはじめてしまった。
「オーケー。君を採用してあげるよっ」
ろくに素性も訊かず、いくつかの質問に受け答えをしただけで、彼は私にそう言ったのだった。
狭き門だと思っていただけに、私はどこか肩透かしをされたような気分だった。
カツラギアキラ──それが彼の名前だ。
これまでに数多くの声優の卵を育て上げ、ゲームソフトの売り上げにも貢献してきたのだと、高笑いをしていたときの彼を思い出す。
正直、あんまり思い出したくはないけれど、この休憩が終われば、嫌でも顔を合わさなければならない。
このご時世に需要を伸ばしているのは、やっぱりアダルト系のビジネスぐらいなのだろう。
私のほかにも、数人の女の子をアルバイトとして雇っているようだった。
彼女たちは主に昼間の時間帯にスタジオに入ることが多く、夜のこんな時間にエッチなアフレコをしているのは、おそらく私だけ。
「よろしく」
アシスタントの人がそれだけ言って消える。
アキラ氏からの呼び出しがかかったようなので、私は急いでスタジオに舞い戻った。
疲れた顔なんて、してらんない──。
スタジオに入るなり、まったく身に覚えのない指示が飛んできた。
「そこに衣装があるから、好きなやつに着替えてねっ」
相変わらず彼の言葉尻には、ひと癖もふた癖もある。
「好きな衣装と言われても……」
「君、何歳だっけ?」
「二十四です」
「だったら、女子高生のブレザーはアウトか」
放っといてください──。
「それじゃあさ、洋菓子店の制服にしようか。甘い感じのやつ。そうそう、洋菓子だけにねっ」
勝手にしゃべって、勝手に吹き出している彼。
おめでたい人だと私は思った。
それにしても、コスチュームプレイの話なんて私は聞いていない。
でも可愛いな、この制服──。
控え室で着替えを済ませると、私はそそくさと定位置に立つ。
案外、悪くないじゃん──。
衣装をチェンジすれば雰囲気が出るだろうというのが、彼の思惑らしい。
似合っているという意味で、隣室の彼が親指を立てる。
恐縮する私。
このスタジオと、カツラギアキラのいる部屋とは、防音ガラス一枚で仕切られている。
向こうには、ごちゃごちゃした機材がたくさんあって、中には電源すら入っていない機材まである始末。
「アニメーション、差し替えるからねっ」
「はい、お願いします」
私はかるく発声練習をした。
そして自分の身なりをあらためて確認する。
ロリータ色の強いメイド服っぽい上下一式に、なぜか頭には猫耳のアクセサリー。
しかもこのスカート、訳ありだと言わんばかりの丈の短さときてる。
脚がスウスウするんですけど──。