『嘘つきは凌辱のはじまり』-2
私がこんな恰好をしていると知ったら、夫はどんな顔をするだろう。
きわめて貞淑な妻を心掛けているつもりなので、きわどい衣装に身を包み、ふしだらな声色で喘ぐ私の姿など、今の夫には想像もつかないだろうと思う。
人妻が夜間に家を空けるわけだから、それなりの理由が必要になってくる。
だけども、嘘の理由を準備しておくのにも、最近では罪悪感が薄れつつある。
夫は今頃、私の手料理に顔をほころばせて、美味い美味いと唸っていることだろう。
愛妻がこんなアルバイトをしていることなど、夢にも思わないままに。
「画(え)が出るよっ」
私は胸の前でぎゅっと手を結んだ。
新しい台本には、『痴漢電車パラダイス』とある。
それならこの衣装は一体──というささやかな疑問は、ため息と一緒に呑み込んだ。
正面の液晶画面を横切っていくのは、朝の風景に溶け込む通勤電車である。
間もなく視点が切り替わると、ラッシュアワーの混雑した車内の様子が、ガタゴトという音とともに映し出される。
ありきたりな風景だった。
新聞や雑誌を読み耽るサラリーマン。
パンツスーツやスカートに包まれた脚を踏ん張るOL。
携帯電話を手に、賑やかに振る舞う女子高生。
アニメーションの画力にしても、そんじょそこらの漫画家先生にだって描けないだろうと思う。
女の子はとにかく可愛くて、男の人はあからさまに卑しい顔をしている。
羊と狼がおなじ車両に乗り合わせれば、おのずとそういうハプニングが起きてしまうものだ。
痴漢行為がはじまった。
ターゲットにされているのは、ツーピースのスーツを着た若いOLだった。
私が声を担当する彼女の名前は、早織(さおり)。
サラリーマンたちの背広に囲まれて、さっそくスカート越しのお尻を撫でられている。
台詞はまだない。
迫り来る手を振り払い、窮屈そうに体をねじって、ときどき背後を窺う。
迷惑だと思っていても、声を上げる勇気がないという設定なのだろう。
徐々に上がる息が、早織のピンク色の唇を開かせる。
「はあ……はあ……」
早織に合わせて、私が吐息をつく。
「早織になったつもりで、自分で自分のお尻を撫でてみてっ」
アキラ氏の指示がヘッドホンに届く。
私は迷っていた。
「バイト代、うんとはずんであげるからさっ」
交換条件を持ちかけられると私は弱い。
嫌だなあと思いながらも、ミニスカートの肌触りを手でさぐるように、かるくお尻を撫でた。
自分の手だとわかっているので、とうぜん何も感じない。
すると早織がまた声を漏らそうとしている。
「いや……うん……やめ……て……」
声を鼻にかける私。
早織の豊かなバストが、服の上からわしわしと触られている。
「早織のおっぱいは、君のおっぱいだよっ」
彼が口を挟む。
言いたいことはよくわかる。
乗りかかった舟だと思った私は、恥を忍んで、お尻を撫でていた手を胸へと持っていった。
わずかに力を込めて、自前の胸を揉む。
どうして私が、こんなことを──。
機嫌を損ねつつ、しかし体の機嫌は良かった。
乳首がかたく起っているのが、服の上からでもよくわかる。
ブラジャーの締めつけがなければ、もっと自由にもてあそぶことができるのにと思う。
ふたたび早織に注目する。
彼女は目をつむって、うなじを仰け反らせているところだった。
スカートの中から四本の脚が伸びている。
よく見るとそれは、二つは彼女の生足で、残る二つは痴漢の腕だった。
人目もはばからずに、彼女の下半身をたっぷりとまさぐっているシーンである。
「やめ……うん……ううっ……やめてっ……」
雰囲気を大事にしながら私は発した。
早織の上唇が下唇を噛んでいる。
悔しい表情が、だんだん恍惚に染まっていく。
「ほら、スカートの中だよっ」
彼は私に、とことんやらせたいらしい。
私は一歩下がって、ヘッドホンをはずした。
そして彼に向かって、無理です、と断る。
猫耳をつけたミニスカート姿の自分が、防音ガラスに映っていた。
しょうがないなあ、といった感じの顔をするカツラギアキラ。
「自分で触れないなら、彼に手伝ってもらおうかっ」
引く様子のないアキラ氏が、第三者をほのめかす台詞を言う。
それは突然のことだった。
スタジオの奥のドアが開いて、一人の大男があらわれたのだ。
筋肉質の胴体に、モアイ像みたいな顔が据わって、手足は太くて短かった。
ビキニパンツ一枚だけの姿が滑稽に見えたけれど、ずんぐりとふくらんだその部分は、女の私に対する生理反応なのだとにわかに思った。
部屋の反対側へ後ずさる私。
詰め寄る男。
「ちょっ、と、どういうことですか?」
「痴漢役の、アズマくんだよっ」
カツラギアキラがそう紹介すると、アズマという男はむっつりと頷く。
「乱暴なことを嫌う、心優しい男だよっ」
アキラ氏の調子に合わせて、アズマがまた頑(かたく)なに頷く。
「わ、私に変なことしたら、警察、呼びますよ」
強気に出て様子を探る私。
ちょっぴり胃が痛い。