『星空の下で逢いましょう』-5
「先生?」
不意に声をかけられ、僕は怪訝に思った。
「先生?」
明らかに僕を呼んでいる。
ふらふらと頭を振ると、僕の脳は現実に舞い戻ってきた。
婦人科クリニックの診察室に僕はいた。
深い回想に浸っていたせいで、白衣の内側にはまだ微熱が残っている。
「次の方を呼んでもよろしいでしょうか?」
助手の女の子は心配そうな面持ちである。
そこに僕の回想の長さが窺えた。
「ああ、すぐに入ってもらって」
二枚目な口調で僕は言った。
三枚目は僕のキャラではないからだ。
呼び出しをかけると、間もなく患者の女性が入ってきた。
僕は彼女に対して、できるかぎりの柔らかい表情を向けた。
いつも通りの、差別のない平等な態度で、診る側と診られる側のあいだに線を引き、一切の雑念を振り払って診療にあたる。
そんな簡単なことが、今だけはできそうになかった。
「今日はどうされました?」
第一声はいつも通りの声音が出た。
けれども彼女は物を言う気がないのか、きりっと唇を結んだままにしている。
「こういうところは初めてですか?」
言いながら、彼女がここを訪れた理由が、僕には大体わかっていた。
しかし、問診をやらないことには何もはじまらない。
助手の女の子も困り果てた様子で頭を傾げている。
僕は、あの日の出来事を鮮明に思い出していた。
あれから一週間もの時間が経過している。
天体観測のついでにたまたま目撃してしまったレイプの瞬間、そしてその結末まで、この網膜にしっかりと焼きついている。
そして、そのときの悲劇のヒロインである女子高校生、その少女が今まさに目の前にいるのである。
けして触れてはならないガラス細工が、何がしかの感情を孕んで佇んでいる、そんな印象だった。
目の色も虚ろに泳いでいる。
およそ一晩中、強姦されていたわけだから、やはり妊娠のことが気にかかるのだろうと思う。
顔の皮膚にニキビが浮いてはいるが、彼女の可愛さはつくられたものではなく、授かり物なのだと実感した。
じいっと見つめていると、彼女の目から応答があった。
僕に言いたいことがあるらしい。
「やっと話す気になれましたか?」
「……て」
よく聞き取れなかったので、僕はもう一度尋ねた。
「どうか恥ずかしがらずに言ってください」
「やめて」
さすがに聞き取れたが、ふたたび問題が発生した。
彼女の言葉の意味がわからない。
仕方がないので、僕はとりあえず体温計を手に取り、彼女に差し出した。
「やめて!」
彼女が叫んだのと同時に、体温計が床にはじき飛ばされた。
これにはびっくりした。
「落ち着いてください」
助手の女の子の台詞だが、言った本人がいちばん落ち着きを失っていた。
「どうして……」
涙に暮れそうな声で少女は言った。
僕はそれを真正面で聞いている。
「どうして……」
またおなじことを言っている。
彼女はいよいよ本題に移ろうとしている、そう思ったとき、僕は金縛りに遭った。
花びらみたいにつぶらな唇が、怖ろしいことを告げる。
「あたしのことを……、ずっと見ていたくせに……、どうして助けてくれなかったの?」
少女のその声は、遠い銀河を漂っているように聞こえた。
無重力空間では罪の重さも軽くなるのだろうかと、僕はまたくだらない冗談を考えていた。