海に沈んだ街-1
サヤは、貧しい村の漁師の次女として生まれた。
幼い頃から水底の闇を怖れず、14になる頃には、村の誰よりも深く潜るようになった。
大昔に沈んだ古代都市の、うち捨てられた廃墟に近づける者は、サヤをのぞいて他にはいなかった。
かつてこの都市に暮らしていた人間たちは、簡素で均一な街の光景を好んだらしい。
海底に沈んだ建築物は、どれもひどく似通っている。
四角い箱のような外見をした住居は、決まって入り口と窓をひとつずつ備えていた。
それらが整然と並ぶ区画を越えると、辺りが開け、濃褐色の海藻に全身を覆われた、大理石の円柱が姿を現わす。
単調な街の光景のなかで、その巨大さは異彩を放つものだった。
自身の役割を奪われ、静かに横たわるその長大な胴は、サヤの想像もできないほど遠くまで伸びているらしく、その全長を推し量ることはできない。
ここへ来るのはもう何回目だろうか、円柱の彼方をじっと見つめながらサヤは思う。
海の中に、このような場所があること、自分がときどきそこを訪れることを、村の誰にも話したことはない。
柱のむこうで、何かが動いている。
それが魚ではないことは、波をゆりかご代わりにして育ったサヤには、すぐに分かった。
村の人間だろうか、とっさに、柱の影に身をかくしながら、サヤは少しの羞恥と憤りを感じた。
瞳のなかをまじまじと見つめられているような気がした。
先刻までは確かに自分だけのものだったこの廃墟、そして、言葉をはなすよりもずっと以前から自分の体の一部のように慣れ親しんできた、少し粘り気のある水の感触、それらが急によそよそしいものになったように思える。
サヤは海底の砂の上にゆっくりとうずくまり、目を閉じた。
どれだけの時間が経っただろうか、自分がもう長い間、息継ぎのために海上へと戻っていないことに、サヤは気づいた。
しかし、それにもかかわらず、いっこうに窒息する気配はない。
不審に思い目を見開いたサヤの前に、一匹の生き物が姿を現わした。
魚ではなく、人間でもなかった、あるいは魚であり、人間だった。
それは、人間の頭を持ち、首から下にはサヤのそれと同じような胴体がある。
だが、腕を右に1本、左に2本備えていて、脇腹には細長い鰓が覗いている。
足はない。腰から下には、無数の襞をもつ、透き通った布のようなヒレが何枚も折り重なって、水の流れに揺られている。
その生き物は、あっけにとられているサヤを少しのあいだ、眺めていた。
しかし、つぎの瞬間、円柱のうえに躍り出て、そのまま柱にそって海の奥へと消えた。
生き物のヒレが水を蹴ってはためく様子を、サヤは呆然と見つめていたが、ふと違和感をおぼえ、自身の脇腹に手を触れた。
そこには、あの生き物と同じ鰓があった。
サヤはゆっくりと、生き物のあとを追って柱の先を目指して泳ぎはじめた。
足が粘つく水に溶けだし、短いヒレが幾層にも渡って現われる。
このときようやく、サヤは自分が何者であるのかを知った。
そして、廃墟に取り残された人々がその後、何処に向かったのかを悟った。
こんなに大事なことを、どうして今まで忘れていたのか、とにかく、できるだけ早く皆に追いつかないといけない・・・
巨大な円柱は海の暗闇のなかへと、途方もなく続いている。