PINK color-1
いつも通う本屋を覗くと、見知った先輩が本棚の整理をしている。
カウンターを見ると『祝☆開業30年!』と書かれたパネルが配置してある。
ああ、30年なのか。じゃあいつも俺の隣を歩く幼馴染みにも教えてやらないとな。
そう思いながら俺はスーパーのレジ袋を持ち直して、ある小さな家に向かう。
《ガチャ・・》
「美桜ー?居るか?」
多分・・あの本の山・・か?
〈もぞり〉
「・・・ん・・慧・・?」
「・・おま、また・・本倒したのか・・」
「・・ん。」
あぁ・・本当にこいつは・・。
「・・慧、任せた・・」
「あ、おい!美桜!って・・絵のアイディアでも出たのかな」
ふらっとペンとか色んなモノが散乱している仕事机に向かった美桜を引き止めようとしたけど、諦めた。
イラストにしか興味が無い奴だしなぁ・・。
仕方なく、一旦リビングに行って、ソファに買い込んできた食料の袋を置くと美桜の部屋に戻ってとてつもない資料という名ばかりの趣味であろう本の山を片付けていく。
俺の名前、水瀬慧。26歳。
職業、美術商の見習い。それと、あるイラストレーターの専属販売員。
恋人、なし。だけど、20年くらい片思いしている。
専属イラストレーターでもある、幼馴染みの雪原美桜に。
イラストにしか興味が無い、気まぐれな猫。無防備なようでいて、付け入る隙をなかなか見せない。
その隙を伺ってはかわされて、気がつけばもう20年一緒に居る。
「・・・俺って、ヘタレなのかな・・」
考えては落ち込んで。その繰り返し。自分が嫌になってくる。
美桜と少しでも一緒に居たいから、この仕事を選んだのに。
「慧、お腹すいた・・。慧の料理、食べたい。」
「・・っ。あぁ、作ってやるから、待ってろ」
それでも、変わらずにこいつの傍に居るのは美桜がずっと頼ってくれるからだと思う。
いつも気が付いたら傍で俺に声をかけてくれるから。
人になつかない、猫の心のよりどころになれているっていう実感が湧いてくる。
だから、こいつを甘やかしたくなる。
本の片付けを後回しにしてリビングに移動、買い込んだ食料を出しながらあとを付いて来た美桜に聞く。
「美桜。今日は何食べたい?今すぐなら麺系だけど」
「ん・・、慧の作ったヤツ・・」
それだけ言うとトタトタとまた仕事部屋に戻った。本当に、気ままな奴。
でも、そんな一方的な我が儘のようなお願いですら愛しく思ってしまう程、惚れている。
その証拠に今の俺は顔が緩んでいる。
「・・って、おい、答えになってないし!」
慌てて仕事部屋に行き、開けたままの扉から顔を出す。
もう一度問いかけようにも真剣な顔して、資料を漁っている。
これじゃあ、どうせ声をかけても分からないだろうなぁ・・。
でも、その横顔さえ鼓動を速くさせるものがある。
本の上で風景をなぞる利き手の指。時折小さく開く唇。白い頬。いつもの不思議な目から変わって、風景の特徴を見逃さないように見据える目。
途端に身体を、欲望で押される。
一歩、足を伸ばした時。藍色のアイツの目が俺を真っ直ぐ見た。
「・・なに」
「あ、あぁ、ご、ゴメンな、ご飯作って来る」
「・・うん」
伸ばした足を引いて、俺は急いで仕事部屋の扉から離れる。
・・・危なかった。
もうここ何年か幾度となくある出来事。大人になった美桜は、正直大人の色気がある。
サラサラの長い茶髪。すらりとした手足。整った顔立ち。
理性を抑えるのも、楽じゃない。
「・・いい匂い。」
「お、来たな。さすが美桜、出来た頃にやってくるとは。」
「・・・慧、怒るよ」
「アハハ、悪かったって!」
あれからなんとか口から出てきそうな汚い欲望を抑え込んで、美桜の好きなミート少なめのナポリタンを作った。
テーブルに並べていると、匂いに釣られたようで美桜が仕事部屋から出てきた。
意外と食い意地張ってるんだよな、こいつ。
「・・美味しい」
一口食べて美桜の口から溢れた言葉。その言葉と共に滅多に見られない笑みが浮かんでいる。
こいつが、俺の料理で笑顔になってくれることが凄く嬉しくて仕方ない。
だから俺はいつまで経っても美桜の傍から離れることなんて出来やしない。
本当に愛おしい。
多分こいつは、俺のことをせいぜい頼りになる幼馴染み。としか見ていない。
勿論俺だって恋心を抱いてはいるけどそれ以上の関係なんて望んでいない。
美桜が少しでも癒されたり、楽になれるなら、俺はそのために隣にいたいと思うから。
告白とかして、自由な猫を閉じ込めておきたくない。
何より、美桜が嫌がる。
美桜に拒絶なんかされたくない。だから、俺はこのままの関係でいたい。
時々出てくる欲望なんか美桜に見せる訳にはいかない。絶対に。