想いを言葉にかえられなくても《冬の旅‐春の夢》-6
じっと見つめる…みつめ………みつ…………ガタンッ!!
大きな音をたててしまった。教室にちらほらいる生徒が興味深そうに見る。構わず廊下に出た。
「どうかした?紫乃、そんなに慌てて。」
千鶴を通り越して山形先生を見詰める。ノンフレームで切れ長の瞳。前髪は後ろに流す、オールバック。肌は割りと黒め。スーツに白衣、隙が無い。
似てる。髪を下ろしてサングラスを掛けて…その柔和な仮面を外したら……背格好も肌もそっくりだ。
「高橋紫乃さん。」
この声。間違いない。考えるよりも早く私の身体が知っていた。瞳も耳も…確信してる。あの時胸の高鳴りは今、蘇っているのだから。
黙って見詰める私に、山形先生は声をかける。
「『何も知らない筈なのに、こんなも胸が高鳴るのは貴方の紡ぐ言葉に恋をしたのかもしれません。』この一節を書いたのは誰でしょう?」
柔和な笑顔でぬけぬけと言い放った。…驚きより、笑ってしまいたい気持ちだった。思わず口許が歪む。
「え? なにその一節って。紫乃は知ってるの?」
知ってるも何も、私が書いたのだから。
「聡明な君なら解るだろう?」
言葉の裏に隠された暗号。篭崎龍奏と私と山形先生を繋ぐ合言葉。
―キーンコーンカーン…始業を知らせるチャイムがタイミング良く鳴り響いた。
………………
「先生」
三時限目。化学準備室の扉を叩いた。山形先生が空き時間なのは職員室で調べておいた。
「どうぞ。高橋紫乃さん」
対面する様に差し出された丸椅子に腰を掛ける。
「山形先生…いや篭崎龍奏と呼べば良いですか?」
「ふふっ。なんでもいいよ」
柔和な仮面はまだかぶっている様だ。
「聞きたい事がいくつかあります。」
「ああ。そのつもりだから構わないよ。」
息を吸い、目を見詰めて話出す。
「一つ、貴方は二重人格なのですか。」
ちょっと突拍子も無い質問だっただろうか。でも気になっていた。
「ストレートだな。そうだ。俺は今《山形先生》を演じている。篭崎龍奏は内面を映す器。そう言えば解るか?」
「はい。では、他の人は知っているのですか?」
「吹奏楽部の部員の前で最近、一度キレてしまった事があったかな。公にはなっていない様だが。でもキレた…ってだけだ。全て知ってるのは君だけだ。」
一息つき珈琲メーカーから、コポコポと香ばしい珈琲をカップに注ぐ。二つ注いで片方を私の目の前に差し出した。
「では二つ目、何故メールアドレスをご存じで?」
珈琲を一口飲み、ゆっくりと私の目を見る。篭崎龍奏の目だ。
「情報処理の授業でパソコンのメール機能を個人単位で使っていただろう?IDとパスワードを担当教諭から貰って。」
「ええ。確か授業でその単位を取りました。」
「生徒用PCの監視が出来る様に、教諭用PCにはそう言うソフトが組み込まれてる。それを拝借した。」
「かなり前から…知っていたのですか?」
「拝借したのは最近。学校のPCからメールを自分の携帯に送っただろ。その履歴を見つけてな。」
「なるほど…」
「一年もアドレスを変えないのも、どうかと思うがな。まぁ…だから助かったのもある。」
「機種変はしてるんですけどね…。なるほど、解りました。」
一息つき珈琲を啜る。苦みと酸味が口一杯に広がる。
「最後に…なんでそんなに知ってるんです?私と貴方の接点は心当りないのですが。」
思い起こせば、担当科目教諭に当たった事もないし、部活も違う。生徒は先生を知っているが、何百人もいる生徒全てを先生は知らないだろう。
「君が俺に興味をもってたから…だ」
篭崎龍奏だ。柔和な仮面が外された。口調も声も、見詰める目も違う。胸の最奥が掴まれた様に苦しい。山形先生とは違う。好きなんだ…こんなに、好きになってしまったんだ…。