アールネの少年 2-2
「……変化を見ていたわけじゃないのか」
舌打ちせんばかりの口調で少年は呟いた。
「へん、げ……」
飲み込めずにいるエイに、少年は苛々した口調で言った。
「まぎらわしいな。何か見たなら夢だ。忘れろ」
「夢……か」
エイはあっさり納得した。不可解な何もかもに、それで説明はついてしまう。
「そうか。ちょっと残念だな」
「残念だと?」
「残念だ。すごくきれいな鳥だったんだよ。新月の影みたいに黒い、美しい猛禽で……そんなの、いるわけないか」
エイはため息をついた。
少年の名に聞き覚えがあることや、彼が先ほど鳥かと問われて否定しなかった点に疑問は残る。だが、彼は深く考えるのをやめた。
「……」
アハトと呼ばれた少年は、あきれたような顔でエイを見ていた。
「……おかしな人間だ」
「そうかな?」
「敵方に捕虜にされておいて、夢に見た鳥の話なんか普通はしない。諦観か?」
「諦観……」
エイは首をかしげた。
言われてみれば、普段の自分なら考えられないことだ。彼は自分の人見知りする気質に自覚があった。それが初対面の、敵方の人間と、緊張もせずに会話している。
妙に穏やかな気分なのだ。先のこと、尋問や処刑やその他諸々について、考える気になれなかった。
だがそれは諦観というより、目覚めたときに胸によぎったもの……驚きの奥の、不確かな、失望感のせいなのだろう。少し自棄になっているのかもしれない。
「そうだね。生きているから、驚いてるんだ。あのまま死ねるのかと思ったから」
「……死ねる?」
アハトが眉をひそめた。
そのとき、前ぶれもなく鉄の扉が開かれた。
エイは反射的に半身を起こした。ガチ、と金属の擦れる音がして、彼はようやく自分の右足に枷がはめられているのに気付いた。
入室してきたのはエイと同年くらいの、一人の少年だった。
短い髪はやわらかい栗色で、日焼けして引き締まってはいるが、基本は各パーツの大きい、幼げで甘い顔立ちをしていた。深い色合いの目は、陽気にくるめいてどこか引き込まれるようだ。見知った顔ではない……はずだが、エイはなぜか、その目に見覚えがある気がした。
アハトが顔を伏せて、彼の進行方向から一歩身を退いたのを見て、エイはその少年が誰なのか悟った。
ロンダ―ン王の長男。世継ぎのシェシウグル王子だ。
「完全になおっているのか?」
彼はエイを一瞥すると、アハトに顔を向けた。
言葉の意味はわからなかったが、明るく響く、はっきりとした声に聞き覚えがある。
「当然です」
アハトの返事に、彼はよしと頷いた。
「アールネ公リアの弟、エイに相違ないか」
「……」
エイは沈黙を守った。アハトとさんざん口をきいたあとで黙りこむのも妙な話だ、とちらりと思う。
シェシウグル王子は肩をすくめた。
「まあいい。灰色の髪と目をした凄腕の剣士が、一つの戦場に何人もいるとも思えん」
ひとりで納得したように言って、彼はエイをのぞきこんだ。
意図してか、生来のものなのか、瞳の光が強い。エイは知らず居ずまいを正した。
しばらくの間、無遠慮に観察してから、シェシウグル王子は小さく笑った。
「鬼だの怪人だのと呼ばれているから、もう少しいかつい男かと想像していたが。これなら俺と変わらんな。お前もそう思うだろう?」
彼は背後のアハトを振り返った。問われた少年は返事もなく無表情に目をそらす。
王子も彼の反応を予測していたようで、それ以上促しもしなかった。
「もっとも、闘いぶりは噂に違わん凄まじさだったぞ。見かけによらず、乱暴な闘い方をするじゃないか」
彼は感心したように、にっと笑いかけ……不意に、真顔になった。
「――おかげで、部下の身体を五体そろえて帰してやれない」
打って変ってしみじみとした口調に、エイははっと目を見開いた。
彼の表情にも声音にも、恨みの色はない。だがエイは自分が人の感情の機微に疎いのを知っていた。彼に読み取れないだけで、シェシウグル王子は部下を傷つけられたことを憤り、あるいは悲しんでいるのかもしれない。
このまま痛めつけられ、殺されるのかもしれないな、とエイは思った。
たぶん自分は、この王子の目の前で、彼の腹心を斬り倒したのだろう。
最後に剣をまじえた少年兵がこの王子であったと、エイはほぼ確信をしていた。
エイ自身は、報復という概念を知識として知っていても、衝動として抱いたことはない。彼は部下の喪失に傷ついた経験がなかった。
だが、報復に燃える者を相手どったことは幾度もあった。
だから、その感情は……感情にいたるまでの理屈は、理解できる。そう彼は思っていた。
「……すみません」
だから、彼はあっさりとそう言った。