H-6
日が傾き、田圃に山陰が広がり出す。美和野の平坦な一日が暮れて行く。
「♪歌も楽しいや〜東京キッド。粋でおしゃれえで〜朗らかに〜♪」※2
夕飯に風呂沸かしと言う、かなり面倒な家事を、雛子は楽しそうにこなす。
今夜はじゃがいもと玉葱の煮付けと、卵入り味噌汁。じゃがいもと玉葱は、田植えのお礼にとヨシノの家から貰った物だ。
「♪右いのポッケにゃ夢があ〜り、左のポッケにゃチューインガムが、星を見たけりゃビルの屋根え〜、潜りたくなりゃ〜マンホール♪」※2
甘い匂いが台所に立ち込め、否応なしに雛子の食欲を掻き立てる。
「さって、出来たと」
じゃがいもの鍋を火から降ろし、次の味噌汁にとりかかる。出来たての熱々も宜しいが、暫く置いたじゃがいもは味が染みてとても美味い。雛子は後者が好みだった。
もう直ぐ料理が出来上がるというその時、玄関から「ごめん下さい」と言う女の子の声が聞こえた。
「あら……?」
聞こえて来たのは、生徒である公子の声であった。
雛子の中に「こんな時刻にどうしたのか?」と言う疑問が涌いた。
「ごめん下さい!」
とにかく、用件を訊かねば始まらない。雛子は玄関口へと急いだ。
「は〜い!」
慌てて玄関口へ出向くと、磨りガラス越しに二つの人影が映っている。一つは公子のようだが、もう一つは大人の男の様だった。
「ちょっと待ってね!」
玄関扉を開けると、公子の後ろに立つ男が、雛子を見て笑っているではないか。
「久しぶりだな、雛子」
「お、お父さん!」
帽子を取って目の前に現れた顔は、紛れも無い父親の三朗であった。
予想だにしない出来事に、声も出ない雛子。すると公子が、補足説明を始めた。
「田の草取りしてたら、この人が役場の前で困ってたんだ」
「ちょうど、このお嬢ちゃんに助けられてな」
「聞いたら先生のお父さんって言うから、連れて来たんだ」
三朗と公子による説明により、雛子はようやく事態をのみ込めた。
先ず、公子のお礼を言って引き上げてもらうと、次に三朗を中へと入れた。
「いやあ大変だったぞ。一日中ずっと汽車やバスに揺られてて、正直くたびれた」
三朗は、座敷の上がり口に腰掛け、此処に至るまでの旅程を詳細に語り出した。