赤い唇<後編>-4
階段を降りエントランスを抜けると、いつの間にか外は雨が降っていた。
ぼんやりと空を眺めながら、わずかな時間その場に立ち尽くす俺。
すると、まるで待ちかねた様子で、ひとりの女が俺に声を掛けてきた。
「あら?思ったより早かったわね?」
くすくすと笑いながら俺に傘を差し出す女。
俺はポケットに手を入れたまま、振り向きもせず問いかける。
「なんの偶然だ?悪戯にしては度を超えてる気がするぞ?」
「悪戯?怒るなら神様にでも言って欲しいわ…… 私だって驚いているのよ?」
そう言うと女は俺の腕に手をまわした。
相変わらずの白くて細い腕。
加奈の色白さは、まぎれもなくこの女の血を引いたのだろう。
「とりあえず場所を変えましょ?その方があなたにとってもいいでしょ?」
「…………ああ、おたがいにな」
ゆっくりとそのまま駐車場へと向かう俺たち。
見覚えのある車種。
年式はいくつか変わったみたいだけれど、
赤のツードアが好きなのは、今も昔も変わらないみたいだ。
「時間は大丈夫なの?お得意先さん」
「っるせ!さっさと出せよっ」
意地悪い問いかけに連れない返事。
赤い唇がまた、くすりと笑う。
懐かしさに気恥ずかしくなってしまうのは、きっとおたがいさまだと思いたい。
「ホント久しぶりだね、龍二?」
「ああ…… 卒業以来だから十年、いや、十五年ぶりくらいか?」
女の名は池上奈美子。
俺より確か六つくらい上だったはずだから三十八歳くらいか?
出会ったのは高校時代、臨時の保健医として赴任してきたのがすべてのはじまり。
きっかけがなんだったのかなんて、いまさら覚えてはいないけれど、
当時十六歳だった俺にとって初めての女であり、現在──加奈の母親のようだ。
「ったく、何がどうなってんだよ?」
「あはは、それはこっちのセリフよ…… 二度と会わないつもりだったのにね?」
奈美子とは別に恋人同士だったわけではない。
生徒と保健医というおおっぴらに出来ない関係だったこともあるが、
そもそもが若気の至り、たがいに割り切った身体だけの関係──まさに黒い他人だった。
「なにが二度と会わないだよっ そっちが勝手にいなくなったんだろうがっ!」
俺の卒業後、奈美子はまるで追うように学校から姿を消した。
連絡先も知らなければ行き先も知らない。
まるで遊びは終わりよと言われたよな気がして、しばらく途方に暮れたっけか。
もちろんずっと一緒にいたいとか、結婚したいとかなんて思っていたわけじゃない。
けれど、ただなんとなく、ずっと一緒にいられるような気がしていたから……
甘酸っぱくもありほろ苦い思い出だ。