七-1
食事のあと、春子が自転車で出かけてしまうと、家の中は紳一とつぐみの二人きりになった。
静まった部屋で気持ちを落ち着かせようとするつぐみだったが、紳一を意識するあまり、胸の高鳴りはますます激しくときめくのだった。
深海さんは起きているかしら──。
紳一の部屋の戸をそっと開けて、つぐみは中を窺った。まだ眠っているようだ。
なるべく音をたてないように気を配りながら部屋に入ると、つぐみは紳一の横に正座して、恋しいその寝顔を見つめた。
喉の奥が締めつけられて、そこから感情がわっと込み上げてくる。
そばにいるだけで涙が滲むのである。
そんな思いをこらえながら、紳一のひたいの手拭いを取り替えると、その体温に触れて、ふたたび恋しさが押し寄せてくるのだった。
やがて紳一の寝息とつぐみの吐息が接近して、事故に見せかけた行為が交わされた。
つぐみが紳一に口づけたのだ。
唇の重なりが火種となり、つぐみの体が沸々と粟立っていく。
自分の意思で自分を支えていることができない。
つぐみは弱々しく脚をくずして、紳一に添い寝した。
ここで羽を休めていたかった。
そんな幸せに浸っていたとき、紳一の目がうっすらと開いて、つぐみの顔を見るなり安堵の笑みを見せた。
「森咲先生、お見舞いに来てくれたんですか?」
「ええと、はい。勝手に上がり込んでしまって、すみません」
つぐみは戸惑いを露わにしながらも、姿勢を正して座りなおした。
「いい匂いがしますね」
「深海さんのためにお昼ご飯を作ってみたんですけど、召し上がりますか?」
「それは有り難い。けど、いい匂いがするのはそっちじゃなくて、先生のほうです」
「え?」
「その香水の匂い、僕は好きだな」
つぐみは、いとも簡単に自分を見失った。
どういうつもりでここへ来たのかもわからなくなっていた。
「じつはさっき、夢を見たんです」と紳一は白々しく言った。
「夢ですか?」
「ええ。夢の中で誰かに口づけられたような気がするんです」
「そうですか……」
つぐみは目を伏せて言葉を濁した。
「ほんとうのことを言うと、先生がうちにいらしたときからずっと、僕は起きていました」
聞いた直後、つぐみは自分のしてしまったことを後悔し、繕いきれない過ちを言葉で埋めようとした。
「すみません。そんなつもりで来たわけじゃないんです。どうぞ私を嫌いになってください」
つぐみは息をつくのも忘れて言い訳をした。
なんて不器用な人なんだ。
それでいて可愛らしい──。
紳一は目に見えない感情に突き動かされて、うんと上体を起こした。
そのいきおいでつぐみの手を取ると、力まかせに引き寄せた。
つぐみは宙を舞う心地を味わったあと、まだ熱の冷めきらない紳一の胸板に受け止められた。
「嫌いになんてなれません」
まわりくどいことはもう必要ない。紳一はつぐみに口づけた。
敏感な部分が接触したことで、甘ったるい感触がつぐみの唇をくすぶらせた。
私をどうにでもして欲しい。
都合よく、たった一度きりの女でもいい。
今だけはあなたのために女を果たしたい。
あなたは私の生き甲斐なのだから──。
そんなつぐみの思いを汲み取ったのか、紳一はつぐみの背中にまで腕をまわし、そのまま布団の上にもてなした。
重なる唇を少しだけ離してみれば、そこにはもう目を潤ませた恋する女の哀願だけが見えていた。
何かを言いかけたつぐみの口を、紳一がふたたび口で塞ぐ。
才色を持ったこの人が、僕の前だけで見せた弱い一面。
それだけでいい。
それが彼女を抱く理由になる──。
つぐみはすべてを紳一に委ねて、脱がされるブラウスやブラジャーの行方を目で追った。
スカートは畳に敷かれ、貞操をまもっていた下着さえも剥かれるままに、成り行きにまかせるのだった。