三-3
日暮れと共に酒場の提灯(ちょうちん)に明かりが灯れば、どこからともなく仕事帰りの男らがあらわれ、上機嫌で暖簾(のれん)をくぐっていく。
どいつもこいつも見た顔ばかりだと言いながら、誰もが陽気に酒を酌み交わしていた。
「この町も平和だとばかり思っていたが、まさか事件が起きるとはなあ」
一人がそう言うと、みんなしてその話題に便乗してくる。
「昼間の痴漢の事件かい?」
「いいや。痴漢じゃなくて、あれは強姦さ」
「気の狂ったやつの仕業だろうな。都会にはそんなやつらが結構いるらしいじゃないか」
「わざわざこんな田舎の娘をおそいに来たのかい?」
「しかもそいつ、火男(ひょっとこ)の面を被って顔を隠していたんだと」
「そんなことよりさ、何でまた蛙の卵なのかねえ。気味が悪い」
「聞いた話だと、その娘の女々(めめ)に蛙の卵を詰め込んで、存分に楽しんだらしいぞ。そうしたら、そこからおたまじゃくしが産まれてきたんだとさ」
「俺だって若い娘とよろしくやりたいよ」
「こんなときに不謹慎なことを言うんじゃねえ。しかしまあ、女房を抱くよりはいいかもな」
「夜中に一人で出歩くこともできん。明日からしばらくは禁酒になりそうだな」
「まったくだ。酒の肴がこんな話じゃ酔うに酔えねえ」
この辺りの方言で、女性器のことを『女々』と呼称しているのだった。
酷い目に遭った娘のことが気の毒だ、と皆が口を揃えたところで話は落ち着いたのだが、腹の中はそれぞれ違っていた。
ろくに男も知らない生娘の下(しも)を拝み、小鳥のさえずりに似た身悶える声を聞き入れ、汗と唾液と男汁と女汁とを垂れ流し、好きも嫌いも勘定に入れず、その穴に女の役割を求め、その竿で男の役割を果たしたい、ただそう思っていた。
*
春子が帰宅したのとおなじ頃、桜園美智代も無事に自宅へ戻っていたのだが、事情が事情なだけに、「嫁入り前の娘が行き先も告げずにどこへ行っていたのだ」と父親の善次から説教されていたのだった。
春子のほうも、紳一から昼間の行き先のことをしつこく訊かれたのだが、美智代と一緒にいたとしか言わず、紳一はほとほと手を焼いた。
年頃の娘である。親に言えないことの一つや二つはあるだろう。
そう思っていると、春子が少しむくれて言い返してきた。
「お父さんだって今日、森咲先生と何をしていたの?本屋さんで楽しそうにしていたじゃない」
「一緒にいたのは偶然だよ。小説が好きだとおっしゃっていたから、家に来てもらって、僕の読み終わった本を譲ってあげたんだ。それだけだ」
「家に上げだの?」
「何か都合の悪いことでもあるのか?」
「別に、何もないけど……」
自分の知らないところで二人きりで会っていたと知り、春子は胸の縮まる思いがした。呼吸もままならない。
「どうせ私の心配をしているふりして、先生のことを考えていたんでしょう?」
春子は、らしくもない言葉を吐き捨てた。
間を空けず、ぴしゃん、という音がすぐそばで聞こえたあと、春子の左頬に痛みがはしった。
それとおなじく、紳一の右の手のひらにも痛みがあった。
頭に血がのぼったのだ。そして互いの痛みが引いていくと、紳一が口を開くよりも先に春子は背を向けて、そのまま部屋にこもってしまった。
紳一は思う。どうして手を上げてしまったのだろう。
春子は思う。どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。