一-2
陽が沈むにはまだ早い時刻である。
春子はしきりにスカートのまくれを気にしながら自転車を降りて、『深海』の表札が掛かった家の中へ入った。
「ただいま」
春子の声に返事をする者はなく、がらんとした空気があるだけだった。
家に上がるなり仏壇の前に正座して、「お母さん、ただいま」と静かに目を閉じて合掌した。今朝、焚いた線香の匂いがまだ残っている。
数年前に母親が病気で他界してからというもの、父親と二人きりの暮らしがつづいている。
そんな春子も十六歳となった。
高等学校に通いながらも、しっかりと家事をこなすところは母親譲りなのか、多感な時期を男手一つで育てたとは思えぬほど賢く、美しい娘に成長していた。
生前の母親の顔にだんだん似てきているのだと、最近になって思うようになった。
そんな自分をここまで育ててくれた父親のことを、春子はとても尊敬していた。
のちに自分の部屋でセーラー服を脱いで、髪どめのゴムをほどくと、春子は西日の差す縁側から庭へ下りた。
お父さんが帰る前に、やっておかないと──。
春子は洗濯用のたらいに井戸水をはり、ちゃぷちゃぷと洗い物をはじめる。経血で汚れた布ナプキンだ。
幾度か水を入れ替えながら、丁寧にせっけんを泡立てる。
その姿を生け垣の向こうから窺う男の存在に、春子は気づかない。
春ちゃんも、えらくべっぴんになったもんだ。
いつの間にあんなものを着けるようになったんだか。
もう子どもだって産める体になったわけか──。
男は、自分といくつも歳の離れた少女の仕草を、じめっとした視線で舐めまわし、口に唾をためていた。
しゃがんで汚れ物を洗う春子のことが、まるでおしっこをしているみたいに男の目に映ったのだ。
口元をにやつかせる男の顎に、よだれが垂れる。
ほんとうに、いい女だ。
春ちゃんのおしめを替えたこともあった。
それが今ではどうだ。
色気づいた太ももに、たっぷりと女の脂肪肉がついているじゃないか──。
スカートの下半分をまくり上げているので、春子の下着が見えそうになっている。
男の眼球が盛り上がり、春子の股間を盗もうとするが、あと少しのところが見えてこない。
それが返って男の妄想をふくらませることになるのだった。
なかなか良い眺めだ。
熟れる前の青い果実も、いじくれば甘みを出すだろう──。
男は腰をかがめて下半身を露出し、血色の悪い亀頭を撫でていた。
ヤニ臭い息を吐いては自らを起たせ、欲をしごき出している。
そうやって、まだ誰の色にも染まらない少女から目を逸らすことなく、苔の生(む)した道端に向かって射精した。
切れの悪い精液が、びたびたと何度も地面を打つ。
知らぬ春子は、すすぎ終わった布ナプキンに鼻をつけて匂いを嗅いだ。
血生臭さが消えた代わりに、せっけんの良い香りが鼻を通っていった。
月経も終わる頃だったので、思っていたよりも時間をかけずに済んだ。
たらいの水面に西日が映り込んでいる。
夕方のサイレンが鳴ると、犬の遠吠えがあちこちから聞こえてきた。
そろそろお父さんが帰る時間ね──。
春子にはまだやることが残っていた。
ひたいの汗を拭うと、ふうっとため息をついた。
家の中へ入っていく春子を見送り、軒下に干された少女の一部をまじまじと眺めると、男はようやくその場を去った。