序章-24
「ど、何処に?な、何時頃ですか?」
「あれは……昼頃だったかのう。四頭立ての立派な馬車が、あんたの家の前に停まったんじゃ」
「四頭立ての馬車……?」
「あんたの母さんはその馬車に乗り込んで、道を東に行きなさったよ」
老婆にお礼を言うと、伝一郎は家路に着いた。不安は更に大きくなっていた。
四頭立ての馬車など極めて稀であり、金持ちなら誰でも所有出来ると言う代物では無い。
(ひょっとして、ぼくの父親が此処を……)
十ニ歳にもなれば、“妾の子”が意味する真実は解る。伝一郎が頭の片隅に追いやっていた事柄が、この事件によって一気に表層へと涌き出て来た。
(ちくしょう……)
悔しさがこみ上げる。だからといって、伝一郎にはどうして良いのか分からない。
少年には解決出来るほどの知識も力も無く、唯、まだ見ぬ父親を憎むしか無かった。
(とにかく、待っていよう)
帰宅した伝一郎は、菊代の帰りを辛抱強く待つ事にした。
鈍磨した感覚の中で、伝一郎は馬車の音を耳にした。
「う……ん……」
次に聞こえてきたのは、菊代の声であった。
「伝一郎、起きなさい。こんな処に寝ていたら風邪をひきますよ」
「うん……母さま」
朧気に目を開いた。覚醒し出した頭が、自分を覗き込む存在を菊代だと認めた時、伝一郎は思わず抱き付いていた。
「な……どうしたの?」
「母さま!いなくなってたから心配で」
「なんです。中学生になろうというのに」
稚児のような振る舞いを見せるわが子を、菊代は軽くたしなめた後、優しく頭を撫であげた。
その顔は何処か物悲しげだった。
「それより、お腹すいたでしょう!すぐ支度しますね」
「じゃあ、ぼく風呂を沸かしてくる!」
家の中に、いつもの明るさが戻った。時刻は午後九時を少し回っていた。
かなり遅い夕食を済ませた伝一郎は、湯船の中で思案顔を浮かべていた。
週末は何時も、菊代との情交に胸躍らせているのだが、今夜に限って、心穏やかにはいられ無い。
四頭立ての馬車の件が甦り、頭の片隅に蔓延る未だ見ぬ父親が存在感を強め、伝一郎の心を掻き乱す。
(母さまは僕の物だ……)
菊代への歪な感情は、父親への憎悪を更に膨らませてしまった。
「母さま!」
伝一郎は、母親への愛を行動に移すべく情欲に燃えていた。
何時もは、結わえた髪を降ろして寝衣で待っている菊代が、今夜は様子が違っている。髪を整え、着物姿で、待っていたのだ。