序章-23
「ほ、奉公先の住所は?」
「ずっと遠いところ……」
聞かされた伝一郎は、いたたまれない気持ちになった。
これから仲良くなろうと思ったのに、それが叶わないなんて。
「送ってくれてありがとう、助かったわ」
晶子はそう言うと、雨の中を駆け出した。
「さようなら」
伝一郎は、遠ざかる晶子の背に分かれを告げた。
一人になった途端、ため息を吐いた。その表情は冴えない。
迫り来る期日に思いを馳せると、沈鬱な表情になった。彼は思い悩んでいた。
三週間後に執り行われる卒業式。先程の晶子同様、級友逹の殆どとは、そこでお別れだ。
もう一つは進学によって、母親に更なる負担を強いる事だ。
中学校の学費は、小学校とは比較にならない。それを今後五に渡って支払う事となる。
──妾の子として虐められていた僕が変われたのは、屋移りしたおかげだ。でも、そのせいで母さまは、いつも仕立ての仕事に追われている。
菊代は子供の成長だけを生き甲斐として、伝衛門の庇護を捨てた。そんな母親の苦労を知ってるからこそ、これ以上、苦労をかけるのが辛かった。
だが、将来を考えると、中学を卒業している方が断然有利なのは確かだ。
「参ったなあ……」
難解を前にして、伝一郎の心は水草の様に揺れていた。
伝一郎は玄関前にたどり着くと、歯を剥いて無理やり笑顔になった──母親に心情を覚られ無い為に。
「ただいま帰りました!」
声を弾ませ、勢いよく玄関扉を開けた。が、人の気配はしなかった。
「出かけたのかな……」
菊代は時折、出来上がった仕立て物を届けるのに家を空ける事がある。伝一郎はそう思い、中に上がり込んだ。
「あれえ?」
すると、思いがけない光景があった。菊代が仕事部屋としている納戸で、仕掛け途中の仕立て物が放置してあるのだ。
菊代は家を留守にする際、仕掛け途中の物はきちんと仕舞っているのを伝一郎は見た事がある。
(何か、急ぎの用なのかな……)
仕立て物を仕舞う暇がない程の急用とは何だろう──頭を巡らせるが何も浮かんでこない。代わって、根拠のない不安が涌き上がってきた。
(母さま……)
伝一郎は家を飛び出すと、母親を見た者を探して隣近所を駆廻った。一軒目、二軒目と手掛かりがなく、そのまま三軒、四軒と訊ね歩き、そうして八軒目にしてようやく、見かけたという老婆と出会った。