序章-22
「三神さんも、草履が濡れるの心配なんでしょう?」
「い、いや……私は」
屈託なく話しかける伝一郎とたどたどしく受け答えの晶子。もし、この状況を男子逹が見たら、肝を潰すだろう。
「か……傘を忘れて」
何時もの、猛々しさの無い晶子は滑稽であり、伝一郎には可愛いらしくさえ思えた。
「だったら、僕と一緒に帰ろうか?」
「えっ!あ、いや、そんな」
思いもよらない申し出は、晶子を大いに慌てさせた。
真っ赤な顔で大袈裟に両手を振り、力一杯の拒否を表す。
だが、伝一郎も簡単に退き下がら無い。
「誰か迎えを待って人がいるの?」
「そ、そうじゃないけど」
「だったら、一緒に帰ろうよ。それとも、男子と一緒は何か不味い事でも?」
「そういう事は……無いけど」
「じゃあ、一緒に帰ろう!」
結局、晶子は説き伏せられ、伝一郎の傘に入る事となった。
「もっと寄らないと、濡れちゃうよ」
「う、うん……」
晶子は傘の端に寄って、伝一郎に近付か無い。おかげで右肩は雨が当たっている。
おまけに、晶子は伝一郎より二寸程背が高く、必然として傘を支える手を高く構えねばなら無い。
そうしている内に、伝一郎の腕は疲れて来た。
「三神さん、傘、替わってくれる」
「う、うん」
晶子に傘が渡った。こうすれば、彼女は傘の中心に寄るので濡れ難くなり、伝一郎が傘を高く構える必要も無い──一石二鳥である。
伝一郎は、自分から晶子の傍に近寄った。間近に見てして気付いたが、晶子の横顔は端正で長い睫毛が特徴的だ。
「今日みたいな雨はさ、“種蒔きの雨”と言って、お百姓さんにとっては恵みの雨なんだって」
友達になりたい──そう思った伝一郎が先ず、話しかけるが、女子が興味を持つ様な話題が浮かんで来ない。
「うん……」
晶子の方も、それに小さく頷いただけ。会話が成り立たないまま、気不味い雰囲気だけ残った。
二人の耳には、蛇の目を鳴らす音とだけが聞こえていた。
「た、田沢……くんは中学に進むんでしょう?」
路の先に晶子の家が見えてきた時、彼女が突然、伝一郎に話しかけた。
「そ、そのつもりだけど……」
先程まで終始俯き加減だったのに、それが今は、何とも形容し難い形相で伝一郎を見詰めていた。その余りの変わり様は、伝一郎を戸惑わせる。
晶子は重い口調で言った。
「だったら、もうすぐお別れね」
「えっ?どういう……」
「私、卒業したら、奉公に出されるの」
「奉公って……」
「親戚の叔父さんの口利きで、女工になるんだ」
最近は減ってきたが、小学校を出て働くのは珍しい事では無い。特に女子ともなれば、余程の金持ちで無い限り、女学校へは進まずに、働いて家族を助けるのが殆どである。