序章-2
「ガラパゴス・ファミリー」
日本は明治天皇の下、富国強兵を合言葉に、急速な近代国家化を推し進めた。
開国したばかりで国としては脆弱であり、蹂躙せしめんとする列強国に対抗する為には、唯一の道であった。
その甲斐あってか、清国、露国との戦争では戦勝国となり得たが、国の財政としては疲弊しきっていた。
莫大な国家予算を投じ、長年、内政を蔑ろにして戦争に明け暮れても、敗戦国から賠償金が入れば、まだ財政も潤うのだが、先の日露戦では仲介国、米国のせいで賠償金を受け取る事が出来ず、国民の不満は大きく膨れあがっていた。
しかし、多くの民が貧困に苦しみ喘ぐ中にあっても、戦争に乗じて肥え太った者はいた。
推し進めてきた国策にのって、鉄鋼や産炭、鉄道、造船、製糸等の産業は、戦争の追い風を受け、天井知らずの景気を享受していた。
それら基幹産業を最初に担った者逹は、後の財閥となる豪商や庄屋逹であった。
そんな中の一人に、幸一の祖父、田沢伝衛門という人物があった。伝衛門は庄屋の長男として生を受けた。
元号が明治へと変わり、急速に近代化が進む世の中を見た伝衛門は、ある日、私財を投じて産炭場の開発に着手する──伝衛門三十歳の時であった。
開発は困難を極めたが、伝衛門は見事に完遂し、一代にして莫大な富を手にした。
凡人ならば、得た富を一人占めして満足するものだが、伝衛門は違った。
彼は先ず鉄道の必要性を国に働きかけ、許可を得ると、産炭地から積出港までの線路を自費で敷いた。
次に産炭地周辺の土地に炭坑夫用の住居、銭湯、診療所、購買所、遊技場を設けた。
石炭の生み出す金が、やがて他所からの移住を促す──伝衛門はそう読んでいた。
伝衛門の読みは当たった。そして、産炭による利益以上の富が彼に集まるようになった。
やがて伝衛門は、産炭地からやや離れた丘に、一町歩はあろうかという広大な屋敷を持つに至った。
既に、機械化されている全産業に石炭が及ぼす影響力は計り知れず、この事実は伝衛門を町内随一の金持ちから、国内有数の資産家へと変貌させていった。
伝衛門は、長いこと独身を貫いていた。事業に邁進するあまり、娶るべき女性との出逢いがなかったのだ。
さりとて、女との付き合いがなかったわけではない。むしろ女好きで、屋敷に奉公する下女と目交う(まぐわう)事など日常茶飯事だった。
そんなある日、伝衛門の下に一人の女が金庫番として雇われる事になった。
伝衛門の弟、田沢伝兵衛の娘で、名を菊代という。菊代は先ごろ開設された女学校を卒業したばかりの、まだあどけなさが残る少女であり、伝衛門の「金を任せられる人間が欲しい」というたっての願いから、伝兵衛が渋々預けたのである。
伝衛門から見れば菊代は姪にあたり、歳はニ回り以上も離れているにも拘わらず、二人はいつしか相思相愛となり、やがて関係を持ってしまった。
──伯父と姪との道ならぬ恋。
やがて噂は伝兵衛の耳に入る事となる。伝兵衛は烈火の如く怒り、二人の仲を引き裂くと、娘を傷ものにした兄から多額の金をせしめ取った上、菊代を実家へと連れ戻してしまった。
菊代は、実家の離れに半ば幽閉された形で住まわされていた。
ところが、彼女は伝衛門の子を宿していたのである。そして、半年余り後に立派な男の子を産んだ。
彼女は我が子に、伝衛門の名からとって伝一郎と名付けた。後の、千代子と幸一の父親である。