序章-13
「ええ!今日も遊べないのか?」
「う、うん……」
下校時刻。友達となった江藤慎之介は、伝一郎の応答に苦い顔をした。
「この間までは、夕食まで遊べるって……」
「それが、中学進学に備えて母さまが厳しくて」
「中学って、俺と同じ町内の中学だろ?」
「そ、そうだけど……」
追及の手を緩め無い慎之介に、伝一郎は困惑する。まさか自分が、とんでもない事をしでかしたのが原因とは、口が裂けても言えない。仕方なくごまかすしか無かった。
「あなた逹、いい加減にしなさい!」
厳しい尋問が続こうしていた矢先、強く注意する声が割って入った。
「そこを退いてもらわないと、掃除が終わらないのよ!」
大柄な女の子はそう言うと、慎之介を睨め付けた。級友の三神晶子だ。学校でも一、二を争う高い背と歯に衣着せぬ口ぶりに、男子逹は恐れをなしていた。
「わ、分かったよ」
慎之介は堪らず教室を飛び出して行った。残された伝一郎は、晶子と対面する形となった。
「あ、有難う」
過程はどうあれ結果として助けてもらったのだ。
伝一郎は感謝を表した。すると、瞬く間に晶子の頬が赤くなった。
「き、気にしなくていいから!田沢君も早く帰って。家事が待ってるんでしょう」
「え?何で知っているの」
一瞬の沈黙。晶子は更に耳まで赤くなった。
「い、いいから!早く帰ってよ」
晶子は伝一郎を、半ば強引に教室から押し出した。
「じゃあ、さよなら」
伝一郎は疑問を抱きつつ、廊下から晶子に小さく会釈をして下足場に向かった。
その後ろ姿を追う晶子の顔は嬉しそうだった。
「不思議な人だな、三神さんは」
下足場で草履に履き替えながら、先程の光景を鑑みる表情は緩んでいた。
普段は、男子と互角以上の爭いを見せる様は、ある種の痛感さを覚える程だが、関わるのは御免蒙りたいのが率直な心境だ。それ故、晶子と話した事など、ついぞ無かった。
(それが、今日に限って……)
今日に限って言えば、いつもの威勢は無い。普通の女の子みたいに大人しく見えた。
「そう言えば、三神さんと話したの初めてだ。何時もあんな風なら気易いのに」
この時伝一郎は、晶子の心境に変化をもたらしたのが自分だと、露程も思わなかった。
「さて、と……」
草履に履き直し、校門へと向かった。
「帰ったら、母さまに聞かせてあげよう」
暑さも緩んできた九月下旬。久々に明るい話題で母親と賑わえるかも知れない。そう考えた伝一郎の足取りは軽かった。