黒の他人<後篇>-7
なんとか取り返した下着を握り締めながら、頬を膨らませじっと俺を睨む加奈。
もちろん全然恐く見えない。
むしろその顔を見てると、いっそういじめたくなってしまう。
「……なに笑ってるんですか?」
「ん?俺、いま笑ってたか?」
人前で笑うなんてどれくらいぶりだろう?
しかもこんな小娘相手にだなんて、俺を知るヤツが聞いたらさぞ驚くんじゃないだろうか。
「加奈…… もうひとつだけいいか?」
「……なんですか?」
友達でもなければ恋人同士でもない。
かと言って赤の他人だなんて言うほど知らぬ中ではなくなった俺と加奈。
世間様から見ればその関係は随分と爛れた関係で、
さながら限りなく黒に近い他人とでも言ったところだろうか。
「もう、人前で酒を飲むな!飲みたい時は…… こ、ここに来ればいいだろ?」
「え? あ、あの…… それって……」
「べ、別に深い意味はねぇよ! 飲んだら欲情しちまうような女を放置しちゃまずいだろっ」
「よ、欲情って…… いくらなんでもひどくないですかっ!?」
憤慨した様子で俺の顔を覗き込む加奈。
けれど、どこか頬が赤くなってる事に気づいて、思わずこっちまで恥ずかしくなってきた。
「そ、そもそもっ 誰にでもそうなるわけじゃ……ないですからっ」
「うん?誰にでもじゃないって……」
「あっ いえっ…… わ、私だってその…… ちゃんと相手を選びます……よ」
ごにょごにょと言葉を濁しながら、加奈は恥ずかしそうに俺の胸元へと顔を埋めた。
年甲斐もなく甘酸っぱい気持ちが込み上げて妙に落ち着かない。
「会社の外せない飲み会とかはどうするんですか?」
「……終わったらその足ですぐここに来ればいいだろ」
「来れないくらい酔っぱらっちゃってたら?」
「……迎えにくらいは行ってやるよ」
互いに顔を背けたまま、ひとつ、またひとつと約束を交わす。
もちろん守る義理もなければ義務もないはず。
ただなんとなく、絡め合う指先が指切りでもしているような錯覚におちいってしまったから
──心の隅くらいには留めておこうと思う。
「ちゃんと介抱してくださいね?」
「ああ、ちゃんと満足させてやるよ」
噛み合わぬ言葉に思わず笑ってしまう俺。
加奈は少し頬を赤らめるも、
「…………その時はおねがいしますね?」
そう言ってそっと俺の肩を甘噛みした。
どっちの意味でお願いされたのかなんて野暮な事は聞かなかった。
ただ俺もまた、おかえしとばかりに加奈の肩を甘噛みしただけだ。
誰のものでもないふたり。
せめてこの歯形が消えぬウチは甘い夢を見続けていたい──たとえそれが黒の他人だとしても。