警鐘-1
ダウンジャケットにニット帽と手袋、それからマフラーに下顎をうずめて玄関に下りると、庭朋美が先に待っていた。
冬装備をしているとは思えないくらいに、彼女の体型は着膨れすることなくバランスが取れていた。
「さあ、別館はすぐそこです。急ぎましょう」
庭朋美が玄関ドアを開けた瞬間、白一色の光景が迫ってきて、空と雪面の境目もわからない。
吹雪は治まりつつあるものの、ときどき風が止み、静かに降る牡丹雪が不気味さを助長している。
一時的にとはいえ、私たちは今、下界と完全にシャットアウトされている。
雪に埋もれた道なき道を庭朋美に先導され、私は慣れない足取りで必死についていった。
部分的に除雪されてはいるけれど、雪道を知らない私はバランスをくずし、差していた傘を放り投げてしまいそうになった。
本館と別館とを結ぶ歩道脇には、猫背の外灯が等間隔で立ち並び、電気の復旧を待ち詫びながらそこにあった。
ほどなくして別館らしき建物のエントランスに辿り着いた。
本館の造りとは対照的に、近代建築を取り入れた外観が若者受けしそうだけど、年配の常連客を寄せつけない雰囲気を感じてしまうのは否めない。
それだけではなく、照明が落ちた建物からは生気が消えていて、霊的なものさえ感じる。
私の頭の中で、不快な警鐘が鳴り響き、凍てつく空気を震わせていた。
電気のかよっていない自動ドアをこじ開けて中に入ると、あちこちの非常灯が頼りなく灯っていた。
「私は私の仕事があるので、三月さんは彼と合流して、電気が復旧するのを待っていてください。そのほうが安全ですから」
そう言って彼女は暗がりの中に紛れ、私一人が取り残された。淀んだ冷気が足元に絡みつくようにとぐろを巻いている。
彼と一緒にいることが安全と言えるのか。この状況で正しい判断を下すのは難しいけれど、とにかく今は前に進むしかないと思った。
一歩を踏み出し、私は肝心なことに気づいた。彼に言われるまま別館にまで来たのはいいけど、館内のどこへ行けば会えるのかがわからない。
携帯電話は使い物にならないし、闇雲に探しまわるのも危険だろう。
とりあえず庭朋美が戻るのを待って、チェックインの履歴から彼を探してもらうしかないと思った。
私は適当なソファに腰掛けて、空調の止まったフロアで欠伸をしていた。誰一人として見る姿もない。
そんな中、誰かの視線を感じたような直感がはたらいた。千石寛を名乗るストーカーがどこかに潜んでいて、私の立ち居振る舞いを監視しているのだろうか。
いつまでこうしていればいいのか、不安を抱えたまま身構えていると、目の前の物陰で何かが動いた。
そうして姿をあらわすと、そいつを見た私は仰天しそうな恰好を元に戻した。
「君は確か、マサムネだっけ」
庭夫妻に飼われている三毛猫のマサムネがそこにいた。
「本館にいたはずなのに、どうやってここまで来たの?」
彼は人間の言葉が理解できるのか、にゃあう、と鳴いたあと、ごろごろと喉を鳴らしている。
私はマサムネのそばにしゃがみ込んで、その温かい毛並みを撫でてあげた。
するとどういうわけか、マサムネの体から香水の匂いが漂ってきた。馴染みのあるような、どこかで嗅いだことのある匂いだった。
この香水をつけた人物がマサムネをここへ連れて来たことは確かだろう。
「きっと、美人さんに連れて来られたんだね」
そうやっていつまでも触っていたら、水晶みたいな猫目を見開いたかと思うと、私の手からすり抜けていった。大きく伸びをして、マサムネは歩き出す。
気紛れに歩いたり、こちらを振り返ってお辞儀の仕草を見せる。
私があとを追えばマサムネも先に進み、私が立ち止まるとマサムネも歩みを止める。これも猫の習性なのだろうか。
一定の距離を保ったままさらに進んでいくと、二階へとつづく階段があらわれた。
マサムネは軽々と段差を飛び越えて駆け上がり、私もそれを追っていく。
どうせならエレベーターがよかったけれど、そういえば今は動かないはずだった。