椿と翠-1
それから毎日顔を出す翠と椿がこの病室で顔を合わすのに時間は掛からなかった。
いつものように陸と翠がとりとめの無い話をしている時、椿が入って来た。
「椿姉さん、こちら春風の翠さん。大奥様の具合が良くなくてここに入院されたそうだ。今日は大奥様のお世話ついでに寄って頂いたんだ」
「始めまして、姉の椿です。大奥様のお加減が悪いと解っていましたら直ぐにでもこちらからお見舞いにお伺いいたしましたのに」
椿がばつが悪そうに言った。
「いえ、お気になさらないで下さい。それに今は少し強いお薬を出していただいているものですからいつも眠っているような有様で、しばらくの間はどなたにもご遠慮していただいております」
「それはご心配でしょう。お伺い出来るようになられましたら是非お教え下さい。陸に替わってご挨拶に伺いますので」
「ええ、そのときは是非。母も喜ぶと思います」
いつもの椿姉とは違い、妙に神妙である。陸が椿姉のこんな姿を見るのは始めてであった。
「陸、ちょっと洗い物してくるからね。奥様にはゆっくりして頂くんだよ」
椿姉は陸に翠を任せて部屋から出て行った。その椿が戻って来た時、翠の姿は既に無かった。
「奥様は?」
「もうとっくに帰っちゃったよ。いつまで洗い物しているんだよ」
「悪かったね、他に用事があって戻るのが遅くなっちゃった」
いつもはテキパキと仕事をこなす椿が今日は何故かウワの空である。陸の言葉も耳に入らない様子である。
「姉さん、何か気になることでもあるのか?」
「何も無いよ。あれやこれや忙しくてのんびりもしちゃいられない。今日はこれで帰るからね。何かあったらチヨちゃんに頼みなよ」
余程気になる事でもあるのか、椿はそそくさと病室を出て行った。
程なくチヨちゃんが入って来た。
「涼風さん、何か御用ありません?お姉さんから“あとよろしく”って頼まれちゃいました」
面倒なのがやって来た。チヨちゃんには出来るだけ早く退散してもらうのが一番である。ただ一つだけ確認したい事があった。
「チヨちゃんは何故椿姉(ねえ)と春風の奥さんを間違えたのさ?」
「だってそっくりですよ。私、てっきりお姉さんがメガネはずしているのかと思いました。お姉さんがメガネ外して化粧したら誰だって間違えますよ」
全く気がつかなかった。普段の椿は度の強いメガネを外す事がない。化粧ときたらすっぴんに薄い紅を差しているだけである。翠の方はというと勿論メガネはしていないし、どんな時でもきちんとした化粧を施している。そんな二人がそっくりだという事など今の今まで気づきもしなかった。男と違って女というものは妙な事に気が付く生き物である。
「チヨちゃんの思い過ごしだろう。あのがさつな姉さんと上品な春風の奥さんが似ているはずが無い」
「だめだなー涼風さんは。だから今まで独身なんですよ。涼風さんのお姉さんはメガネ外してちゃんと化粧したらびっくりするぐらいの美人になっちゃいますよ。解ってないなー」
ひとしきりうんちくを語るとチヨちゃんはしたり顔で出て行った。
世の中には似た顔など幾らでもある。チヨちゃんが勘違いした理由はわかったが、それ以上深くは考えなかった。