柘植の木-1
穏やかな中にもある種緊張感を含んだ鋏の音がお屋敷の庭に絶え間なく鳴り響く。鋏仕事が始まって一週間も過ぎるとあれ程茂り返っていた庭木が随分とスッキリと見えてきた。余分な枝に遮られていた日の光が庭の隅々にまで行き渡るようになった。いつの間にか、あの焼け付くような夏の日が優しい秋の日に変わっていた。今日の仕事が終わると中・高木の選定は全てカタが付く。義兄達は今日で引き上げ、後は陸たち三人だけの低木の選定作業に入る。大きな山は越えたのだ。
「義兄(にい)さん、長いこと済まなかったね、おかげで厄介な仕事は全部片がついた。有難う」
「陸さんの仕事で半端な事やっちまったら桔梗に殺されちまう。これで俺も一安心さ」
壮介は心からに安堵したように腰に手を当て大きく背伸びをした。
「なーに、桔梗が怖いだけじゃないさ。毎日此処に来ると元気な頃の親方に会えるようで、それだけで嬉しかったよ。お礼を言うのはこちらの方さ。いい仕事をさせてもらった」
竜とて同じ気持ちであった。十五の歳から三十年以上先代の下で働いてきたのだ。仕事は厳しかったが子供の頃に二親を亡くし天涯孤独となった竜の事をいつも気に掛けてくれた。その親方が今、目の前にいるのだ。油断すると涙が溢れてきそうになった。
「親方の仕事は目をつぶっていても解るが、これだけはトンと解らねえ」
竜の言葉に壮介が頷いた。
「俺も不思議でかなわねえ。これだけが親方の仕事じゃないって事は解るが、なんだか切っちゃいけねえって言っているようで、どうしても切れねえんだ」
「壮介さんも同じか、俺も同じ気持ちだ。それにしても厄介なものが残っちまったな」
その柘植の木はすっかり姿を現した路地のど真ん中に植えられていた。この柘植が此処にある限り庭は完成しない。それはあたかもこの庭が永遠に完成しないようにと強い意思で植えられたように思えた。しかしいずれ近い内に決断しなければならない事は確かだ。陸に新たな大きな憂鬱が残った。
もう一つ、陸には気になることがあった。あの日から大奥様の姿が見えないのだ。陸に向けられるあの刺すような熱い視線が無いのはそれで有難いのだが、こう長い間姿を見ないと逆に気にかかる。一体どうしたのだろうか、陸は思い切って翠に聞いてみた。
「奥様、大奥様の姿がずっと見えませんけど、余程具合が悪いのですか?」
「今年の夏の暑さが体に堪えたのでしょう。本当は病院に入ったほうがいいのですが、鋏の音が聞きたいといって聞きません。今は奥の部屋で横になっています。でもご心配なさらないでくださいな、随分と過ごし易くなって参りましたので直(すぐ)に起きられるようになるでしょう」
「そうだったのですか、それはご心配で。いえね、一つだけ大奥様に尋ねたい事がありまして。なーにたいした事じゃありませんから大奥様が元気になられてからお聞きする事にいたしましょう」
特に急ぐ事では無かった。仕事は未だ他に幾らでも残っているのだ。もたもたしていると今日の仕事が残ってしまう。陸は残り一本となったウバメガシの高木に取り付いた。
陸が取り付いていた木から下りてきた頃には既に片付けも終わり、皆が引き上げるばかりとなっていた。これで中・高木の剪定が全て終わった。後は背丈以下の低木の手入れが残っているだけである。陸たち三人だけでも後一週間もすればこのお屋敷の手入れ仕事は全て終了する。長いようで短かった二ヶ月が終わろうとしていた。