鋏の音響く-1
今まで機械の音に満ち溢れ、騒々しかった庭に今日は一変して軽やかな鋏の音が響く。七人の男達はそれぞれが思いの庭木に取り付き樹木の天辺から伸びきった不要な枝を切り落としていく。手馴れた仕事の為か、男たちに昨日までの険しい表情は無く、皆が穏やかな顔付きで鋏を動かしていた。昨日までは縁側の戸が開けられることは無かったが、今日は全ての戸が開け放たれ、この屋敷の住人たちが並んで腰を下ろし、軽やかな鋏の音を楽しんでいた。
「ねーおかあさま、うえきさんたちいたくないのかしら?」
「さー、どうなのでしょう、でもどの植木さん達もとっても気持ちよさそうよ」
鋏の音がする度に上から枝が落ちてくる。その後を追いかけるようにして一条の日の光が差し込み、薄暗い屋敷の庭が少しづつ明るくなっていった。
「庭屋さんの鋏の音ってとても優しくていい音。聞いているだけで穏やかな気持ちになってきますわ」
三人の女達が横一列に並び思い思いの気持ちを口にしているその後ろのほうでこのお屋敷の大奥様はいつものようにその小さな体の背筋を凛と伸ばし鋏の音に聞き入っている。ただ、その目は何故か陸の仕事姿だけを追っていた。
「みんな、そろそろ昼にしねえか」
陸のその一言で男たちが取り付いている庭木から一斉に降りてきた。
「ご苦労様、直ぐにお茶の仕度いたしますから。准(じゅん)さんはおばあさまの事お願いね」
うっとりと鋏の音に聞き入っていたお屋敷の女達はそれまでとは打って変わった様子でテキパキと動き出した。
「ねえ、竜さん、若奥様の名前、准さんって言うんだって、いいね、美人だし」
「この野郎、普段はボーとしていやがる癖して、こんな事だけは抜け目ねえ」
そんな戯言を言い合っている二人のところに若奥様の准と小さな女の子がお茶とお茶請けを持ってやって来た。
「お口に会いますかどうか、どうぞお召し上がり下さい」
「めしあがれ」
小さな女の子が母親の真似をして後を続ける。生意気だがなんともかわいい。
「嬢ちゃん、有難うよ」
竜がそういうと
「わたくし、じょうちゃんではありませんことよ、はるかぜシンディようこ」
「へっ?」
竜が素っ頓狂な声を出した。
「この子も私も、ロンドンで生まれたものですからミドルネームがありますのよ。母もですけれど」
「シンディちゃんか、おじちゃんは竜、こいつは健、よろしくな」
「こちらこそよろしく」
どうやら竜の事が気に入ったらしく、シンディお嬢さんは竜の横にちょこんと座り込んだ。健のほうは若奥様のほうが気になって仕方ない。口を動かしながらも目は若奥様のほうに釘付けになっている。
「シンディ、それでは私たちもお昼ご飯を頂きましょう。いらっしゃい」
そういうと二人は屋敷の奥に姿を消した。
「健、飯食うか口閉じるかどっちかにしろ」
若奥様の魅力にすっかり参ってしまった健が慌てて口を閉じた。
「惚れた、惚れちまった」
「又始まった、勝手にほざいていろ」
竜は呆れたようにつぶやき、食べ終わった弁当箱を収め、出されたお茶を美味しそうに飲み干した。
「それはそうと健、このお庭には先代の庭造りの全部が詰まっている。隅から隅までよーく頭に叩き込んで、涼風園流の庭造り、しっかり体におぼえさせるんだぞ」
健も既に何度もこの庭が先代の手になる事を竜から聞かされていた。
「へい」
食事を終えた健がいつになく神妙に頷いた。二人のやり取りを傍で聞いていた陸は益々複雑な気持ちになった。今ではこの庭が父の手になる事は納得できている。しかし、何故父はその事を陸に教えてくれなかったのか、何故記録に残さなかったのか。いや、それどころか何故陸がお屋敷に近づく事を禁じたのか。その理由(わけ)が何一つ明らかになっていないのだ。それに大奥様の視線も気になる。陸はこの仕事に掛かってからずっと背中に大奥様の視線を感じ続けてきた。鋏を使い始めた今日は特にその視線の熱さが尋常ではないのである。まだまだ先の長い仕事の間中、大奥様の熱い視線を浴び続けるかと思うと陸は軽いめまいと深い憂鬱を覚えた。
午後の仕事が始まった。シンディ、若奥様の准、それに奥様の翠の三人は相変わらず縁側から陸たちの仕事ぶりを見つめていたが、何故か大奥様の姿が見えない。陸はこの日の仕事を仕舞うまで大奥様からの余分なプレッシャーと戦う事無く、解放された気分で仕事をする事が出来たのだが、最後まで姿を見せなかった大奥様の事が逆に気になった。
お屋敷を辞す時、陸は思い切って尋ねてみた。
「昼から大奥様の姿が見えませんでしたが、どうかなさったのですか?」
「ええ、朝の内に外の空気に当たりすぎて少し気分が悪くなったようです。今は奥の部屋で横になっております」
「そうだったのですか、そりゃ、ご心配で」
「元々そう強いほうではありませんの。でも今日は久しぶりに気持ちのいい鋏の音を聞いたと喜んでおりました」
「大奥様にはお体お気をつけられるようによろしくお伝え下さい」
「お気遣い有難うございます。母もきっと喜びますわ」
大した事は無いだろうとそれ以上深く考えなかった。鋏仕事は始まったばかりだ。先はまだまだ長い。