ボタン-6
「おれんち、引っ越すんだ」
唐突に、絅ちゃんが言う。
そのあとに挙げた引っ越し先の場所は、ここからは十以上も先の駅。
だけど、良かったなあ、と私は思う。
ぼろぼろだという今の家に絅ちゃんが住まなくてもよくなるのは、嬉しかった。
距離ができることも、特に寂しいとは思わない。
どのみち、会えなくなるのは変わりないもの。
新しい環境が、優しくきみを包むことを願う。
願いでしかなくても、わたしは願う。
「それじゃ」
わたしたちは、握手をした。強く、強く。
「楽しかった。絅ちゃん、ありがとう」
「おれこそ、ありがとう」
今度こそ、二度と戻らない絅ちゃんの背中を、わたしは見送る。
離れたくない。
失いたくない。
だけど、どうか、幸せになって。強くいて。
一人になった教室で、わたしは、窓の外を眺めた。
いつのまにか、また雪が降り出している。
いつか、きみと話したね。
雪の日に、傘をさすのは好きじゃないって。もったいないって。
ふたりで、
「わかるわかる」
って笑い合った。
わたしたちが似てる気がして、嬉しかったな。
今頃、昇降口を出たはずのきみは、やっぱり、傘をささずに歩いていることだろう。
思い出し、鞄に手を入れ、きみから受け取ったサイン帳を取り出した。
何気なく目をむけた、メッセージの欄。
泣かないって決めてたのに、ついにそれは、頬を伝った。
あとからあとから、こぼれ落ちる。
「長谷川さんへ。変わらないで、そのままでいてください。となりにいられてよかった。ありがとう。」
手の中のボタンを強く握る。
恋かと言われたら、少し違った。
愛かと訊かれたら、それに少し似ていた。
机を寄せ合った、あの距離が、わたしたちの距離だった。
きみに触れたいんじゃなくて、一緒に歩きたいんじゃなくて、ただあの場所にいたかった。
ふたりで。
ふたりきりで。
ずっと。
わたしたちの席をみれば、まだ机はぴたりと寄り添っていて、わたしはまた、ボタンを強く握り締める。
涙はいつまでも、とまることなく流れ続けた。
完