『由美、翔ける』-20
「うおおぉぉぉ!」
どんどんどん!
「ちょ、や、やめなさいよ、桃子!」
本日の“デート”の成果を報告するや、桃子は突然、狂ったかのように壁を殴り始めていた。
「やらいでか! 壁を殴れずに、おれますかぁぁ!」
どんどんどんどんどん!
「こらあ!」
由美は堪らず、桃子を背中から羽交い絞めにする。この部屋が、サイドの突き当たりにあるとはいえ、壁を殴る音は、コンクリートを伝播して、各場所に聞こえないとも限らない。
「ふっ」
「!?」
そうして、由美は、桃子の無防備になってる、耳の裏側に息を吹きかけた。
「ふにゃあ……」
あらぶっていた桃子の全身から力が抜けて、由美の身体にその身を預けてくる。
「耳は、だめぇ……」
桃子の最大の弱点である、耳の裏側への吐息攻撃は、この女子寮にいる全ての女学生が知っている、“セクハラ桃子の撃退方法”であった。ただし、膝を痛めているとはいえ、非常に素早いその身のこなしは、“ゴ☆ゴ13”並に背後に立つことを困難にさせているので、よほどのことがない限り、成功することはない。
「まったく、もう!」
軟体動物のようになった桃子を中央のテーブルまで引き摺り戻し、その天板に突っ伏すような体勢をとらせて、由美は、内心の冷や汗を拭った。
「リア充め……末永く、爆発しろ……」
訳の分からないことをつぶやく桃子を、白眼視で見下ろす由美だった。
やがて、桃子も我に返り、本日のおさらいとばかりに由美は、八日市のことを“よっくん”と呼び、自分も“ユミさん”と呼ばれるようになったことの顛末を、改めて語って聞かせる。
「………」
嬉々としてそれを語る由美とは対照的に、桃子の顔が、甘いものを食べさせられすぎたがゆえに“渋面”になっていたのは言うまでもない。
「……まあ、それにしても、本当に展開が早いわねえ」
八日市と由美が、思いがけない形で出会ってから、まだひと月とて経過していないのである。
「あとは、ズッコンバッコンだけね」
「も、桃子!」
「まあそれも、時間の問題か」
「も、もう!」
赤面していながら、以前ほどは強く桃子に当たることを由美はしなかった。おそらく、その気があるということなのだろう。
(由美、相当な“むっつりスケベ”だからねぇ)
品行方正で澄ました顔をしていようとも、“耳年増”であることは間違いないので、その辺りの興味は、人一倍その身体に宿していると、桃子は看破している。それに、由美が自慰をしているらしい息遣いを、ベッドの上で何度も耳にした。
「ちゃんと避妊しなよねー」
「だからっ」
「ふふっ……」
ただ、八日市と関わりを持つようになってから、由美はとても表情が活き活きとしてきた。バレー部の後輩たちに話を聞いてみても、最近の由美は、トスの切れ味が凄まじくなっており、かといって、アタッカーたちを振り回すようなものではなく、それぞれのタイミングにしっかりと呼吸を合わせた、地に足の着いたトス廻しになっているという。
(女として自信をつけてきたから、選手としての自信も、戻ってきたってところかな)
蓬莱桜子のアキレス腱断裂が、自分の責任だと未だに吹っ切れていない由美は、以来、自分を懐疑的に見るようになってしまった。要するに、自信をなくしていたのだ。
しかし、八日市に好かれることで、女としての自信を持ち始めたことが、彼女の中で揺らいでいた“一本の軸”を再び太いものにし、その安定を生み出したのだろう。
(これでズコバコしたら、もっとすごいことになりそう)
文字通り、女として一皮剥ければ、由美はさらに、選手としても一回り大きくなるだろう。そうすれば、候補止まりだった日本代表にも、正式に選手として呼ばれるに違いない。
(あたしは、それが見たいんだからさ)
それは、桃子自身が怪我で断念せざるを得なかった、新しい“夢の容”の表れでもあった。
「桃子?」
「ん? どうかした?」
「いえ、急に静かになったから……」
「んー」
いつの間にか、物思う姿を由美に見せていたらしいことに気づく。
「“よっくん”と“ユミさん”が、どんなふうにズコバコしてるのか、想像してたのよ。まあ、いやらしい。前の方から、あんなことして……後ろの方から、こんなことして……。ああ、いやらしい、いやらしい」
「や、やめなさいよぉぉぉぉぉ!!」
桃子の壁パンチとは比べ物にならないくらいの絶叫が、女子寮の中に響き渡った。