濃厚接触タイム-1
新緑がまぶしく輝く五月のある朝のことだった。
「ええっ!龍が?」真雪がケータイを耳に当てたまま大声を出した。「で、どんな具合なの?」
昨日から泊まりがけでやってきていた酪農研究所ロビーのベンチから立ち上がって、彼女は青ざめた顔で手を震わせていた。
「わかった。予定を大急ぎで済ませて、すぐに帰るから。ミカさん、その間、龍をよろしくね。」
通話を切った真雪に、研究所の所長が心配そうな顔で近づいてきた。「シンプソンさん、どうかなさいましたか?」
真雪はそのシルバーグレーの男性に顔を向けた。「は、はい。龍が今朝倒れたって・・・・。」
「ええっ?!龍くんが?」
この研究所は、酪農に関する研究では近県の中でも先進的な実績を上げていた。家畜人工授精士の免許を持ち、他の酪農研究施設や畜産農家などでも多くの助言をしたり、共同研究に参加したりした経験を持つ真雪は、この研究所にも度々やって来ては、研究の様子を見たり、実際に調査の手伝いや指導をしたりしていた。彼女の恋人、龍も、新聞社の取材を兼ねて真雪といっしょにここをよく訪れ、所長とも顔見知りになっていたのだった。
シンプソン真雪(23)と海棠 龍(19)はいとこ同士。真雪の母マユミと龍の父親ケンジが双子の兄妹という関係である。
四歳年上の真雪は高校三年生の時、当時中二だった龍に告白した。交際が始まって数日後には二人はお互いに初体験を迎え、以後他人もうらやむ熱い関係を続けている。真雪は高校卒業後、動物飼育に関する専門学校に通い、先の家畜人工授精士の資格をはじめ、犬訓練士、動物介護士などの資格を取得し、現在は小さいながらもペットショップを切り盛りしている。一方、龍は高卒後地元の新聞社に就職して一年が経った。得意のカメラの腕を生かして、他のスタッフとともに最前線での取材活動に駆け回り、エネルギッシュな日々を送っていた。
「早く帰っておあげなさい、シンプソンさん。後のことは私がなんとかしますから。」
「で、でも、まだ新品種の牛乳の品質検査の結果が・・・・。」
「大丈夫です。結果が出たらすぐにあなたにお知らせしますから。さ、早く愛する龍くんのところへ。」
「ごめんなさい。」真雪はバッグを掴んで玄関に急いだ。
「所員に駅まで送らせますから。」
「すみません。いろいろと気を遣っていただいて・・・。」
「そうだ。シンプソンさん、少し待ってください。」所長は、ロビー脇の事務所に入っていって、すぐに小走りで真雪の元に戻ってきた。手には保冷バッグが提げられている。
「これを。」彼は真雪に笑顔でその銀色のバッグを差しだした。
「え?」真雪はそれを受け取りながら所長の顔を見た。
「牛乳です。絞りたてですよ。龍くんの好物でしたよね?確か。」
「すみません、気を遣っていただいて。」真雪は丁寧に頭を下げた。
「こちらこそ、いきなり持ち物を増やしてしまって申し訳ありません。ではお気をつけて。くれぐれも龍くんを大切になさってください。」
所長は真雪の肩にそっと手を置いて微笑んだ。