眠っている、この思いを-1
「いるよ」
あっさりと耳に届いた答えに、小宮あかりは目を丸くした。
「で、でも、指輪をしていませんでしたが!」
「恥ずかしいから、しないんだってさ」
ええー…と呟いて肩を落とす編集者、小宮を見てエッセイスト結城マコトは笑うしかなかった。
「これを云うと、みんな結構小宮さんと同じ態度を取るよ」
谷町さんはモテるからね―――と、結城は少しばかり自慢気に云う。
小宮が担当している結城マコトと、弁護士谷町健吾は高校時代からの知り合いである。
小宮は最初、谷町は結城を好きなのだろうか―――と勘ぐったのだが、それはどうも違うようだと思っている。
谷町には妻が居るとたった今聞いたから、という事ではない。
なんとなく、谷町は結城に惚れていてはいけない気がするのだ。
迂闊で有名な小宮だが、結城マコトの事はなんとなく解る―――時がある。
彼はきっと、谷町が自分に恋をしないから彼と仲良くしているのだ。
「谷町さん、素敵ですもんね」
溜め息と共に言葉を発すると、結城は笑った。
「僕の好きだった人だからね」
「え」
「解ってるでしょ?」
驚いた小宮に、しかし結城はあっさりと返す。
「高校生の時だよ。本当に好きだった。云えなかったし、云ってない。解ってるとは思うけど、確かめてもいない」
そう呟く結城の顔は真剣だ。
関係が壊れそうで、告白が怖い―――それはよくある台詞だが、結城の事となれば響きは深刻になる。
彼は。
告白を受け入れられるのも、拒絶されるのも怖いのだろうと小宮は思うからだ。
谷町を好きでも、恋人にはなれない。
谷町が恋心を抱いてしまったら、それは自分の好きな彼ではない。
そんな複雑な気持ちを、高校生の頃の結城が抱いたのだと想像すると、小宮は切なくなってしまった。
「でも僕が、こうして谷町さんの話を小宮さんに出来るのも、ゲイだと知られながらエッセイが書けるのも、みんな彼のおかげだよ」
「あ」
―――昔私は、彼をそこから。
小宮は谷町の言葉を思い出す。
「ん?」
「いや、あの、谷町さん、手を」
「手をどうしたの」
「手を離さないって」
それを聞いて。
結城が。
目を見開いたあと、ふ、と細めた。
「そうか」
だから僕は、連絡を取る気になれたんだな、と呟く。
高校の時に、恋心を捨てねばならなかった結城が谷町に連絡を取った理由を小宮は知らない。
きっと、深刻な事なのだろうと思う。
軽率だが真面目な小宮はそこには踏み込まないと決めたのだ。
「私も、私も」
「え?」
「結城先生の手を、離しません」
自分の手なんかいらないだろう。
小宮はそう思う。
けれど告げたかった。
谷町のように強くない。賢くない。慎重でもない。
それでも、結城マコトという作家が好きだ。
その勝手な思いを、小宮はどうしても告げたかった。
「ありがとう」
熱烈な告白とも取れる言葉を受け止めて、結城は微笑んだ。
きっとその表情も谷町が作って来たのだと思うと―――小宮は少しだけ、谷町が羨ましかった。