アールネの少年 1-7
エレヴ公子は幼い頃からその手の物語が好きなようだったが……いったい誰に似たものだろう、と彼は内心首をかしげた。
考えうるのは次兄セラだが、彼はこの館に住んでおらず、エレヴに対しては過剰とも思えるほど丁重に接している。趣味嗜好に影響を与えるほどの付き合いがあるとは、あまり考えられなかった。
「エイ。まじめに聞いていませんね?」
少年は口をとがらせて不満げな声をあげた。
「わたしは心配しているんですよ。近ごろお顔の色が優れないから。遠征ばかりでお疲れなのでしょう」
さらに何か言い募ろうとした彼は、エイの驚いた顔に気付いて首をかしげた。
「何です?」
「いえ。今日はずいぶん心配される日だなあと……」
モルに関しては、晩餐の席でのやりとりを思えば疑わしいところだが、と考えながらエイは応えた。
「叔父上も叔母上も、同じように気付いているんですよ。なぜ父上は気付かないのかな」
エレヴは一人憤慨してそう言った。
「父上はエイをもっと大事にするべきなのに、」
「僕の体調には何も問題ありません。顔色が悪く見えるとしたら気のせいですよ」
彼の不用意な言葉を、エイは意識的に遮った。
私室とはいえ、誰が聞いているかわかったものではない。
「厳密には、顔色というよりも……」
エレヴ公子は彼の顔を見ながら考えこむように腕組みした。
「心ここにあらずというお顔です。なんというのかな……ネズミにでもひかれそうな」
「ね、ネズミ?」
エイは反射的に足元を見回した。
「ネズミもお嫌いでしたっけ」
彼の反応に、エレヴ公子は小さく笑った。
「不思議ですね。馬や伝令鳥は平気なのでしょう?」
「馬や鳥はまあ……噛みませんし……懐いてくれますし」
「そうそう、動物には好かれるたちなのに」
「飼育獣はそこまで苦手じゃありませんよ。ダメなのは虫や蛇とカエルとトカゲとネズミくらいで……」
「その手が得意な者も少ないですけどね」
エレヴ公子は苦笑した。
「気持ち悪いからと嫌うのはわかるけど、エイの場合は怖いと言うでしょう。だからおかしいんですよね。剣を持てば誰よりもお強い人なのに」
「か、買いかぶりすぎです」
「何がそう恐ろしいのですか。 鳥や馬は噛まないから怖くないというなら、カエルだって噛みはしないでしょう」
確かにそうだ、とエイは頷いた。
とはいえ、噛むから、というのはなぜ怖いのかと幼い日にしつこく追及され、困った末に考えついた理由である。
本音をいえば、馬も鳥もまるきり平気なわけではない。必要にかられて、平気なふりをできる程度に克服はしたものの、エイ自身にも恐怖症の本当の正体はわからなかった。
ただ、姿を見ると、名を聞くと、気配を感じると身体がすくみ、震えがおこる。
「足元をよく見て歩けば、誤って踏んで噛まれることもないですよ」
「……そうですね。気をつけます」
いたって真面目な、幼子相手にするような忠告に、エイはおとなしく頷いた。
「気をつけていただきたいのはそんなものより、ロンダ―ンです」
エレヴ公子は握り拳つきで力説した。
「空想ごとといってバカにしたものではないのです。父上でさえロンダ―ン王家対策に魔法使いの登用をお考えの様子なんですから」
「え…」
エイは驚きの声をあげた。リアは前述の通り、見えぬ力には懐疑的だ。
彼に限らずアールネ公は、代々、我が剣の他に頼みとするところはないという気風だったようで、魔法や魔族については武力としての研究をされた記録はあるが、さして役には立たないと結論されている。
「少し前に、魔法使いが父上のもとを足しげく訪れていたのです。はっきり公言はされませんが、すでにひそかにお使いのふしもあるようですよ」
エレヴ公子は声をひそめて、どこか楽しげにそう告げた。
※※※