アールネの少年 1-6
※※
「北ナブフル黒森砦の奪回に、ロンダ―ンのシェシウグル王子が将として派遣されてきた」
エイにとっては砂を噛むような味気ない、家族水入らずの晩餐の席で、アールネ公リアは指を組みながらそう告げた。
「籠城戦を続けているが、戦況は芳しくない。ほどなく砦は落とされるだろう」
「……それでは」
リアは重々しく頷いた。
「エイ。お前に行ってもらう。黒森砦の守備隊を援護し、既に敵に奪われていた場合は砦を奪回するのだ」
即座に返事をしようとしたエイを遮るように、鋭い声が飛んだ。
「エイを遣るのは得策とは思えませんわ」
口をはさんだモルに、リアは不快げな眼差しを向けた。
降嫁した妹の分際で口を出すな、とその表情が雄弁に語っていた。だが無言で睨みつける長兄を、モルは意に介する様子もなく続けた。
「ロンダ―ン軍は強力です。たかが十六ばかりの剣術のうまいだけの子供に、弟というだけでそのような重大な役を委ねるのですか」
「では誰がふさわしいと思うのか」
つまらなそうに質したリアにモルはいくつかの名を並べた。
「お前の夫の弟たちを、か。なるほど」
リアは皮肉げに口の端をゆがめた。
「却下する。敵将とて十六ばかりの甘やかされた王子。エイで不足という道理もあるまい」
「しかし、」
「エイ。急ぎ部隊を編成し、出発の準備をせよ」
リアはそれ以上聞く気はないとばかりモルを遮った。
モルの険しい顔を見ないようにつとめながら、エイは御意のとおりにと頭を垂れた。
※※
離れに与えられた自室に戻ったエイは、しばらくの間閉じた扉の前で立ち尽くしていた。すぐには灯りを点けず、じっと耳を澄まし、闇に目を凝らす。
昼間見たときと、調度品の位置に変化はない。カーテンも衣装棚も寝室へ続く扉も、大きく開かれたままだ。
異常はない。
そう納得してエイは歩を進めた。
息をひそめ、緊張を解かずにゆっくりと窓際に歩み寄り、カーテンを閉じる。
カーテンを引き合わせ、ガラス越しに開放された視界が閉ざされて……彼はようやく、ほうっと息をついた。
そのとき、カツン、と窓に何かがぶつかる音が響いた。
「!」
彼ははっと目を見開いて、反射的に壁際に滑り込んだ。
剣の柄に手を添えて、そろそろとカーテンの端から外をのぞきこもうとしたとき、窓ガラス越しに声がした。
「こんばんは、エイ」
彼は慌てて窓を開け放した。
「公子様?」
バルコニーの下にいたのは、窓を見上げて手を振っているエレヴ公子だった。彼は脱力して身を乗り出した。
「こんな夜更けに出歩いては、父上に叱られますよ」
「またそんな。もう五つの子供じゃありませんよ」
年下の少年はあきれたように肩をすくめた。
「すぐに戦場に向かわれると聞きました。うちにいる間にお話を聞かせてください」
「話と言われても……」
「どうせ女人を呼び入れる予定もないのでしょう?」
「な、」
絶句して真っ赤になったエイに、エレヴ公子は声をたてて笑った。
「ね? だったらお部屋に入れてください」
エイはため息をついて手をさしのべた。
戦場での逸話をエイが語らないのを、エレヴ公子は自分が子供だからだと考えているようだった。子供に聞かせるには教育上良くない、とエイが思っている、と。
実際には、エイに理由などなく、単に話すようなことではないと思っているだけだ。
彼の主観では、戦場には特段おもしろいことはなかった。彼にとってはただの、繰り返される日常でしかない。
口下手なエイを相手に、エレヴ公子は何が楽しいのかほとんど一人でしゃべり続けていた。自分で言うほど戦場の逸話に執着はないようだ。
「ロンダーンの王家と言えば、不思議な力を持つ怪鳥を使役する、呪術使いの末裔だといわれています」
「はあ、そうなんですね……」
興味なさそうなエイに、エレヴはむきになって続けた。
「世継ぎのシェシウグル王子が肩にまがまがしい鴉をとまらせているところを見たものもいるのです。ただの伝説ではなさそうですよ」
エイはそう聞いても、大した感想は持てなかった。なるほどその王子は鳥が好きなんだな、と思ったのみだ。
「くれぐれも気をつけてください、エイ」
深刻な表情のエレヴを、エイはまじまじと見つめた。
エレヴの父親であるリアも叔父のエイも、魔法だの魔族だの怪鳥だのには一切興味を持たない質だ。
魔法使いとは、東の果てに住まうとある一族と、各地の山岳の民の一部にごくたまに生まれる、変わった遺伝形質の持ち主のことを言う。軍事的脅威と見なすには人数は少なく、またそれほど強力な力でもない。
魔族は一種の災害のようなもので、やはりめったに人里には現れない。怪鳥となると、もうただのおとぎ話だ。