アールネの少年 1-4
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アールネ公邸は、白い壁と左右対称の美しい造形をした瀟洒な館だった。
広い庭園は彫刻を飾った人工の泉を中心に、植え込みが幾何学図形に整然と刈り込まれ、一分の乱れもない。
造園師の技術の粋を凝らした庭を、しかしエイは何の感慨もなく通り過ぎた。
警護の騎士に導かれて館の正面入り口に至ったとき、そこにずっと佇んでいた少年が待ちきれぬように階段を駆け降りた。
「エイ! お帰りなさい」
十三歳になったばかりのエレヴ公子は、勢いよく彼のもとへ走り寄ってきた。
色の淡い金髪に、エイ自身にもよく似た色白の面をうれしそうにほころばせる公子の姿に、彼は戸惑って頭を下げた。
「公子様」
「いつも通り、ケガはないようですね。さすが!」
「いえ…おかげさまで……」
素直な称賛に、エイは目を泳がせた。
歳の近いこの甥は彼の武功を大仰に受け止めるふしがあり、エイは毎回その憧憬の眼差しにどう応えてよいか迷うのだ。特に今回はさして功績を挙げたわけでもない。
そうして内心うろたえているうちに、背の高い男が階段を下りてきて、エレヴの背後に立った。
エイはあわてて跪いた。
エレヴと同じ金髪と明るい空色の目を持つ、冷たく整った容姿のその男が、アールネ公リアである。
彼は容姿によく合った、低く冷静な声で言った。
「無事で戻ったか。ご苦労だったな、エイ。我が弟よ」
「恐れ入ります。今戻りました……リア兄さん」
エイは緊張にこわばりながら深く頭を垂れた。
「長旅で疲れているだろう。晩餐までゆっくり休むがいい」
「はい……」
乾いたねぎらいの言葉に、エイはますます縮こまった。
アールネ公はそんな彼を一瞥してすぐに背を向けようとしたが、遮るようにエレヴの快活に弾む声が響いた。
「エイ。お部屋に行ってもいいですか? ピリカでのお話を聞かせてください」
立ち上がりかけていた彼は、中腰のまま固まった。
「は、」
「公子。エイは疲れている。休ませてやりなさい」
少しも強くはないが、絶対的な声音でそう言った父に、エレヴ公子は不満げに口をとがらせつつもおとなしく従った。
アールネ公親子が遠ざかるのを確認して、エイはようやく、つめていた息をほっと吐き出した。
「お帰りなさい。エイ」
低めの、わずかにかすれた響きのある甘い声が、彼の名を呼んだ。
顔を上げた鼻先に、エイとよく似た灰金の髪がふわりと揺れる。
「モル姉さん」
エイは目を瞠った。
嫁ぎ先からめったに顔を見せぬ姉なのだ。こうして会うのは実に一年ぶりのことだった。
驚いて反応できずにいる末弟から、彼女はふいと目をそらした。
「弟の無事の帰還を喜びに来たのよ。何か文句があって?」
「い、いえ、文句なんて」
険のある語調に、エイはあわててかぶりを振り、ありがとうございます、と口ごもりながら続けた。
「ぼんやりしているのは相変わらずね」
容赦のない物言いに、エイは苦笑した。この姉も相変わらずだ。
十七歳年上の公妹モルは、エイが物心ついた頃にはすでに重臣のもとに降嫁していたので、彼にとって親しい肉親とは言えなかった。
彼女の方も、ときたま顔を合わせるのみの年の離れた末弟に関心を示さず、どちらかといえば毛嫌いしている素振りすら見せるのが常だった。
館中に知られた情の強い性質で、誰に対しても優しい言葉をかける女ではない。
なので、エイだけにとりわけ厳しいというわけではないのだと今の彼にはわかっている。
だが幼い日の彼に理解しろというのも無理な話で、小さなエイに指一本触れず、ろくに目を合わせようともしない高圧的な姉を、彼はすっかり苦手に思ったまま成長してしまっていた。
その彼女が、わざわざ出迎えに現れたことに彼は疑問を覚えた。
不機嫌な様子からは本人の言うような喜びの色はまるで見えなかったし、今回の帰還は国にとってなんら特別なものではない。重要な国事にすら、この数年はなにかと理由をつけて欠席しがちだったのに、どういう風の吹きまわしだろうか。
尋ねるべきか否かと考えながら、エイは目を上げて彼女をうかがおうとして、ぎくりと固まった。
モルがくいと顎をあげて、まっすぐにエイを見ていたのだ。
彼は戸惑いを隠せなかった。
モルは通常、彼の顔をあまり見ようとしない。彼女は兄と同じ色の目をしているのだと、そのとき、エイはほとんど初めて識った。
目が合ったと思うと、彼女は不快げに眉を寄せた。
「……その顔はなに?」
「顔?」
エイは反射的に口元に手をやった。
「まともに食事はしているのでしょうね?」
モルは、これ以上見るに堪えないと言わんばかりに目を伏せた。