アールネの少年 1-3
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当年十六歳になるアールネ公の末弟は、その卓越した剣腕でもって周辺諸国に名を知られていた。
『アールネの怪人』。『灰色の戦鬼』。
アールネの黒い鎧を纏い、灰色の髪を風になびかせながら、涼しい顔で戦場を駆け抜ける若者の姿に、人々は様々な呼び名をつけた。
まだ幼いアールネ公弟エイが戦場に初めて現れたのは、数年前のことだ。
浴びた血しぶきをぬぐいもせず、馬が倒れても怯懦の色ひとつ見せず、表情もなくただひたすらに敵を解体し続ける少年の姿は、闘うことしか知らぬ静かな狂気を他者に感じさせた。
寝食も自分ではまともにできず、アールネ公はこの弟を館の地下牢に閉じ込めて世話をし、戦の折にだけ解き放つのだ、などとまことしやかに語るものもあるほどだった。
その狂気は年を経るごとに、剣術の冴えと比例して増していた。
常に最前線にあって、真っ先に敵陣に切り込む役を果たしながら、彼に傷一つつけた者はいない。そんな伝説が形成されつつあった。
むろん、そうした噂の流布には、敵軍の士気を下げようというアールネ側の意図が介在していたわけだが、エイが戦場で大きな怪我を負ったことがないのはれっきとした事実である。
公弟という地位に反して、将としての才に言及されることはめったになかった。
彼の役割はひとつの兵器だった。
ひとたび放たれれば、その線上にあるもの全て斬り伏せてどこまでも進んで行く。
彼の進行を止められた者は無く、その事実そのものに敵兵は恐怖した。
それで十分だったのだ。
アールネは四方を囲む国々と絶えず戦闘状態にあったが、彼のいない戦場にあたった国の軍隊は、自身の幸運に胸を撫で下ろした。
その彼がアールネの公都に呼び戻されたのは、南側の国境での小競り合いに駆り出されていたさなかのことだった。
突如届けられた帰還命令に、エイは不可解な思いをしながらもおとなしく従った。
南のトリュームとの国境草原地帯をめぐる戦いは、エイの曾祖父である初代アールネ公の時代から続く恒例行事のようなものだ。エイがいようが状況は大して変わるまい。
アールネ公は、トリューム以外の戦線からも最低限の数を残して軍を続々と引き揚げさせ、そのまま編成し直して東に投入しているという。
公は東の戦をずいぶん重要視しているようだった。
大国ロンダ―ンの同盟国として西方諸国に睨みをきかせていた、北ナブフルの国王が急死したという知らせが届けられたのは一ヶ月ほど前のことだ。
アールネは、どの国よりも早く、王の死のほぼ翌日にも北ナブフル王城に進軍し、混乱する王都を攻め落とし、世継ぎの王子を手中にした。
そしてそのまま王都を拠点に北ナブフルに建設中だったロンダ―ン軍の砦を奪い、補給線を維持したままロンダ―ンの国境へと歩を進めた。
そのときエイは北方にある共和国家ピリカの内乱に、反政府側の支援軍として遠征に出かけており、帰還後も休息もなく南に遣られた。
なので詳しい状況は知らないが、そうして外側から見聞きするかぎり、アールネの動きはひどく迅速に過ぎた。
少なくとも、王の死は予測されていたのだろう。……あるいは、計画されていたか。
弟とはいっても、アールネ公リアがエイに何事か計画をあらかじめ相談するようなことはない。
年の若さや向き不向きの他、様々な要因を考慮してのこととエイは理解している。
実際問題、相談されても困るのだ。兄に対して助言も諫言も彼にはない。
二十も年上の、彼の物心ついたときにはすでに公位に就いていた長兄リアは、彼にとっては家族というより単に従うべき主君だった。
だから、北ナブフル王の死に兄の意図が関係していたとしても……それを知らされていないことにも、彼には特に思うところはなかった。
だから、今回帰還命令に首をかしげたのは、それが急だったからというわけではない。
むしろ、遅いのではないかと彼は感じていた。
ピリカから帰国した時点ですでに東への戦力投入は始まっていたのに、エイは南に据え置かれた。そもそもエイが留守の間に事態は始まっている。
このことから彼は、公が自分を東に派遣するつもりがないのだろうと考えていたのだ。
むろん、届けられたのは公都への帰還命令であって、次の戦場が東とは限らない。
だが彼はほぼ確信していた。何か計画外の出来事があって、アールネ公リアは当初予定になかったエイの部隊を動かさざるを得なくなったのだ、と。
側近や部隊の中から、都合よくあちらこちらへと動かされる不満が聞こえないではなかったが、エイは今までもそうしてきたように、それらから静かに耳を閉ざした。
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